左:クスコの地ビール、右:アルパカのステーキ
その後は100年の歳月をかけて建てられたカテドラル(大聖堂/La Catedral)を眺めながら、アルマス広場のレストランで昼食をいただきました。
この日のランチにはアルパカステーキが出ました。アルパカは羊肉に近い感じです。
ところで、クスコの名物料理をご存知ですか?
クイ(テンジクネズミ)の丸焼きクイ・アル・オルノ(cuy al horno)です。アンデスのご馳走で、鶏肉に似ているとか。
じっくり焼くので時間がかかるのと、ちょっと見た目がリアル過ぎて、トライしませんでした。どなたか勇気ある方は、是非とも挑戦して感想をお聞かせください。
同じグループのKさん(ブラジル単身赴任駐在員)は気分が良くなって、思わず食事と共にクスコの地ビールを飲んじゃいました!これが後々大変なことになるとは、この時誰も知りませんでした。
午後は、聖なる谷(Valle Sagrado)と呼ばれる、渓谷に残るインカの遺跡をたどりました。
毎年6月24日に、太陽の祭(インティライミ)が開催されるサクサイワマン(Sacsayhuaman)は、クスコを守る要塞だったと言われています。巨大な石組は歴史を伝える迫力がありました。
聖なる渓谷/5000mの山
以前に、お祭りと同名の日本人ミュージシャンがライブもしたそうですよ。
これからマチュピチュへ向かう列車に乗るために、オリヤンタイタンボ(Ollantaytambo)駅に向かいます。
途中、チェンチェロ(Chinchero)という村の原住民マーケットに寄りました。植物を使って染めた糸で作った工芸品を少し買いました。
側には風光明媚な場所があり、目の前にはなんと5000m級の山がそびえたっていました。
それを見ている私達が立つ場所も3760m、つまり富士山の頂上にいるのと同じです。
空気は薄いけれど、キーンと澄みきっていて美味しい!
山を下り、オリヤンタイタンボ駅に着く頃には、夕暮れが迫って来ました。
観光客だけでなく、本格的な登山者もここから出発するので、周囲には雑貨やスナックを売る店が立ち並び、それなりの賑わいです。
レトロな待合室で少し待っていると、私達が乗る列車が入って来ました。ディーゼル機関車が客車を引っ張っています。各自小さくまとめた荷物を持ち、指定された座席に座ります。
終点のマチュピチュ駅までは約1時間半で、ペルーレイル、インカレイルの2社の鉄道が運行しています。
もし豪華な旅をお望みなら、ペルーレイル運行のハイラムビンガムという豪華列車もあります。
クスコの街から出発し、オリヤンタイタンボを経由してマチュピチュへ向かう、3時間半のラグジュアリーな列車の旅が楽しめます。
片道US$525~ですが、食事やバーの代金、遺跡までのバス代、英語ガイドなども含まれていますので、列車が好きな方にはオススメです。
ちなみにこの列車のハイラムビンガムという名前は、マチュピチュを発見したアメリカの探検家の名前です。
映画「インデイー・ジョーンズ」のモデルとなったとも言われています。
マチュピチュ村周辺と滞在したホテル
マチュピチュ村に着きました。小さな駅です。
各自荷物を抱えて列車をから降り、順番に進みます。登山家等は別途ポーターを雇い、お金を払って大きな荷物を運んでいます。
だから、村では物価が高いように思います。
小さなホテルやレストラン、土産物屋等が坂道に沿って所狭しと並び、夕方には遺跡から戻った観光客で賑わっています。ふと、日本の温泉地みたいだな~と思いました。
実はマチュピチュにも、アグアスカリエンテス(Aguad Calientes)という温泉があります。ぬるめのクアハウスみたいな水着が着用の温泉なので、日本のとは違いますけど。
上り坂の途中に、私達の泊まるホテルがありました。傾斜を利用して建っているホテルは、豪華ではないけど使いやすく心地良さそうです。
チェックインを済ませたら夕食時になっていたので、そのままダイニングへ向かうと、Kさんが少し青ざめた顔色で体調の悪さを訴えています。高山病です。
Kさんは事前調達の薬を服用していたものの、昼間にビールを飲んでしまったのがテキメン!やはり、侮れない。
消え入りそうな声で「先に休みます。僕のスーツケースはどこですか?」とガイドさんに尋ねました。ガイドさんはキョトンとして意味がわかりません。
クスコのホテルにスーツケースを預けて来たことをKさんが知ると同時に、周囲の人達はKさんが2泊分の手荷物を持っていないことに気付きました。あちゃー。泣きっ面に蜂とはこの事。
皆さん、マチュピチュへ行く時は手荷物を分ける!忘れないでくださいね。
とりあえずその夜、Kさんは早めに休み、翌日のマチュピチュ遺跡に備えました。いよいよ翌日は遺跡を訪問します。
(次ページへつづく)