現代の私達にとっても嬉しいことは、フェニキア時代(紀元前8世紀)以来のマグロ漁の再開です。
アラブ人は、網を使って漁をしていたフェニキア人とは全く異なる「マッタンツァ」という方法を生み出しました。
これは予め網を仕掛けておいた場所へマグロの群れを船で追い込んだ後、網の四隅を4艘の船に乗った男達が引き上げ、次第に海面に上がってきたマグロを他の船に乗った人たちがヤリで突いては船に引き上げるというやり方です。
一帯の海がマグロの血で真っ赤に染まったという話ですから、かなり残酷なやり方でありました。網を引き上げる時、漁師達はチャロマと呼ばれるかけ声を唱え始めますが、これは北海道のニシン漁でソーラン節を唱えるのと同じ発想のようです。
既に疲れきった体に鞭を打ちながらも最後の力を振り絞り、収穫への喜びと感謝の気落ちを表すものです。
ここ数年漁業は厳しい監視の元に置かれており、マグロも捕れる数が決められたためマッタンツァは行われていませんが、シチリアでは数年前までアラブ時代以来ずっとこの方法が使われていました。
切り分けたマグロを塩漬けにして保存食とすることにも成功し、島の内陸部にも運ばれるようになります。ちなみにこの地中海のマグロ、かなりの量が日本へ輸出されています。
マジパンで作るシチリア伝統ドルチェ
彼らの主食であるクスクスは「セモリナ粉」を原料としますが、このセモリナ粉を使ってパスタも誕生しました。
パスタと言えばマルコ・ポーロが中国から・・・と思い込んでいたので、それよりもずっと早くパレルモ近郊のトラヴィアという町で生産されていたと聞いた時には、本当にびっくりしたものです。
アーモンドの粉と砂糖でマジパンが生み出され、これもシチリアのドルチェには欠かせない物となりました。
砂糖とビネガーもしくはレモン水を混ぜ、アグロドルチェ(agrodolce)と呼ばれるいわゆる「甘酢」も使われるようになりました。
ヨーロッパでは料理に砂糖を使うことはないだろうという私の概念を崩したシチリア料理、多くの定番シチリア料理はこのアグロドルチェで味付けされています。
だから日本人の口にも合うのかもしれませんね。
アラブ人はただ単に新しい食材をもたらしただけではなく、ギリシャ時代と同じでシチリアの食文化に革新をもたらしたと言えるでしょう。
ピスタチオのヌガー
Written by 桜田香織(イタリア)
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