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私の価値観を変えたインドネシア人の国民性。留学先で得た「家族」

2022年1月5日
杏子スパルディ (インドネシア)

文化の違いに翻弄されても、明るさと仲間思いに救われて

他に驚いたことは、時間にルーズ、または簡単に予定をキャンセルすること。みんなでどこかに出かけようと時間を決めても定刻で来る人はまずいません。

それでも先に着いた人が他の人に「今どこ?」と電話をすると、今から出かける前にシャワーをするという状態の人が平気で「今もう運転して、〇〇通りのあたりにいる」とうそをつくのです!

更に、遅刻ならまだいいのですが、予定を平気でキャンセルします。これはインドネシア在住日本人もよく振り回されることが多いのですが、”tidak jadi(キャンセル、取り止め)”と言い、物事を中止にします。

予定を当日に決め、さらに直前にその予定をキャンセルする、というのは日常茶飯事でした。

これだけ書くとなんだかインドネシア人ってしょうもない人達のような気がしてしまいますが、彼らの明るさと仲間思いに私は救われてきました。

「人類みな兄弟」という言葉がぴったりで、近しい関係は血のつながりがなくても皆家族のような関係です。今インドネシアに暮らす上でもひしひしと感じますが、当時アメリカでの学生時代もそうでした。

朝から晩まで、とにかく文字通り24時間いつも誰かの寮やアパートに集まり、いつも賑やかです。誰かが困ればみんなで助け合い、だれかにハッピーな出来事があればみんなで喜ぶ。

シンプルに見えて、簡単にはできない素晴らしい人間関係を彼らは当たり前のように作っていました。

 

「インドネシア人の家族」を得て

それは当時学生同士だった私とインドネシア人留学生仲間だけではありませんでした。

彼らのご家族がインドネシアから渡米すると、アパートにインドネシア人仲間をみんな招待し、インドネシア料理をふるまい、おみやげを渡し、インドネシアから持参した映画などをみんなで鑑賞する。

渡米したご両親と家族でのアメリカ国内旅行にも、家族でもない仲間や日本人の私も同行するなど、本当に「家族ぐるみの」付き合いでした。

私はアメリカで「インドネシア人の家族」を得たのです。アメリカでの学生期間と就職・就労期間を終えて日本に戻った私が、すぐにまたインドネシアに渡ったのも、この「家族」がいたことで簡単に行動に移すことができたのです。

私が惚れたインドネシア人を通してのインドネシア。インドネシア人たちと関わりだして18年になります。

彼らとのエピソードはたくさんありますが、今回書いたいくつかのエピソードからも、インドネシア人の人柄が伝わるかと思います。

今、そのインドネシアに定住し、インフラなどまだまだ発展中の部分に困ることも少しはありますが、この国がやっぱり好き、ここに住めて幸せ、と今日も感謝の気持ちでいっぱいです!

Written by 杏子スパルディ(インドネシア)

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