ロックダウンから抜け出して喜んでいた矢先、オミクロンの感染拡大が勢いを増しなかなか落ち着かないまま迎えた2022年のお正月。
そんな状況でも、今年もジリジリと照りつける太陽に幸せを噛みしめながら、「あ~、これがお正月の醍醐味だよな~」と、ビーチでのんびりと過ごす。
日本で暮らしていた頃、毎日ババシャツを着て厚いコートに身を包み過ごしていた12月。なんだか気持ちばかりがバタバタと忙しかった師走。
そして、ようやく一息つけたお正月は、セーターを着てこたつにもぐりこみ、アツアツのお雑煮を食べる。こんな年末年始を当たり前のことのように何十年も過ごしていた。
そんな日本のお正月から離れ、ここ南半球で真夏のお正月を過ごし始めて早17年。
短パンやノースリーブのトップにビーサン、サマードレスを着て心も体も軽やかに過ごすこの時期は、1年の中で私が最も愛する季節である。
クリスマスになると街も一気に落ち着き、のんびりとしたホリデームードになって、気分的に慌ただしく過ごしていた日本の師走とは違い、真夏の空気の中をゆったりと気分良く過ごすのはたまらなく嬉しい。
日本の師走の時期によく罹っていた「急性胃腸炎」には、オーストラリアに移り住んでからは二度しか罹ったことがないのも、やはりこの「気分のあり方」が理由なのかもしれない。
星の数ほどの美しいビーチが存在するオーストラリアでは、「ビーチカルチャー」という言葉がオージーたちの魂に刻まれているようだ。
海は彼らの生活の一部、いや、人生の一部と言っても過言ではないのかもしれない。
日に焼けたブロンズの肌に誇りを持ち、太陽が照りつける日は甲羅干しをする人たちで賑わうビーチ。トップレスで肌を焼いている勇気ある女性を目撃することも珍しくはない。
その一方で、木陰でゆったりとベンチに座ってただただ海を眺めている人たちや、お弁当を広げピクニックを楽しむ家族連れや友達グループもいる。
ここまで読んでいただくと、オーストラリアにはずっと昔から開放的なビーチカルチャーが存在していると思われるかもしれないが、実は、このビーチカルチャーが根付くまではちょっとした紆余曲折があったようだ。
1838年から1902年まで、シドニーでは朝の7時から夜8時までは海で泳ぐことは違法とされていたそうだ。この当時は、公衆で水着を着て肌を晒すことを良しとしない文化があったのが理由らしい。
1900年の始めから1970年代までは、女性のビキニ着用は違法とされており、男性でもスカートのような水着を着用する事を義務付ける法が制定されそうになったこともあるようだ。
そんな歴史を辿ってきた現在のオーストラリアのビーチカルチャーには、「自由」「開放的」「強さ」という言葉がよく似合う。
それはきっと、オーストラリアの海がいつも「ありのままの姿」で私達と共に生きているおかげなのかもしれない。
ヨーロッパ人が上陸してくる前は、海を恵みの宝庫として大切にしていたオーストラリアの原住民、アボリジニ民族。
ビキニ禁止法に反旗を翻し、逮捕されながらも勇気ある行動を起こしてくれた当時の女性たち。
そのお陰で現在、レジャーやスポーツ、リラクゼーションが加わって、海は私達の生活のなかで多様な役割を担ってくれている。
お正月休みのほとんどを海で過ごしながら想う。こんなかけがえのない時間を自由に過ごすことができるのも、先人たちが海を愛し、海とともに生きていくという生き方を貫いてくれたお陰。
縁あって「夏のお正月」を過ごす国に導かれた私は、これからもずっとこの国で「暑いお正月」を海で過ごしながら生きていく。
Written by 野林薫(オーストラリア)