イベントで提供した手鞠寿司
対面式イベントは行うことはできるものの、まだまだ油断はできない時期だったので参加者数を制限。和菓子ワークショップや昼食時にホテルレストランの多国籍料理ビュッフェの他、手鞠寿司と菱餅を提供することにしました。
予算を見積もってもらうと大幅にオーバー。仕方ないので2年前より参加費を高めに設定せざるを得ませんでした。
ブラジルの生活基準を考えると高いと思われるお値段でしたが、それでも参加したいと言ってくださるお客様がいました。参加者の皆様が気持ちよく帰っていただくために、お土産なども用意しました。
協賛企業を見つけるのも大変でした。パンデミックで大変だというのはわかっているから、聞くに聞けない状況でもありました。しかし、私には優秀なビジネスパートナーがいます。彼女の人脈で、見事に見つけることができました。
パンデミックの最中でも積極的にオンラインなどのイベントを開催していたビジネスパートナーのお手伝いをしてきて、学びを沢山得ることができました。彼女のおかげでイベントができたといっても過言ではないでしょう。
さて、ここまで順調にきたと思われるでしょうが、かなり焦ることもありました。
お寺からひな壇を運ぶ際、手配した車が小さかったのです。サイズをきちんと測り、写真も添えて伝えたのになぜこのようなことが起こるのでしょうか?
それだけならいいのですが、ブラジルは2月と3月は夕方頃になると豪雨となることが多く、それも配慮して運ぶ時間は14時半に予約をしていました。
ブラジルでは珍しい、約束の時間前にきちんと到着したドライバーさん。しかし、来た車はどう見ても小さい。ひな壇は北海道協会の方が木の板で作ったもので、解体できない箱型ひな壇なのです。どう考えても入りません。
着物を初めて着た娘の8歳の従姉妹
それを知った時は「どうしよう?」と思いましたが、小さい車で来たドライバーさんが目と鼻の先にトラックから荷物を降ろしている人を発見!
この時ビジネスパートナーが到着し、トラックのお兄さんに交渉をしにいきホテルへ運んでもらうことに。しかし、彼らにも仕事があるので、その仕事が終わったらということに。
暫く待っていたけれど、仕事が終わらないのか来ません。ゴロゴロ…と雷の音が聞こえ始め、あたりも暗くなっていきます。
この時ばかりはお寺の本堂前だけに、お釈迦様にお願いをしてしまいました。すると、願いが通じたのか、トラックのお兄さん達がやってきて無事にひな壇が運ばれていったのです。
幸いな事に雨には降られませんでした。そして、ホテルロビーで無事に雛人形を飾りホッとしていると、観光でサンパウロに来られていた海外からのお客様達に声をかけられ、雛人形について聞かれました。
「はじめて見た!素晴らしい!とても興味深い!」と仰っていました。このように、日本の伝統工芸を海外で知ってもらうことはとても嬉しいことです。
最後となりますが、ひな壇と雛人形を運ぶ時はハラハラしましたが、トラックの話を日本人のお友達に話したところ、「日本だと『規制があるからできません。上に相談しないと…』で終わりそうだよね。ブラジルだからできた事なのかもしれない」と言っていました。
これも、助け合いの精神からくるものなのかもしれません。そんなブラジル人達に助けられて、私は今日も元気にハッピーに生きています。
次回は、無事に終えたイベント当日のことを書こうと思います。それでは、Até mais!(アテ マイズ – またね)Tchau Tchau!!(チャウチャウ – バイバイ)
ブラジルの都道府県人会はこのような活動をしています。世界ウーマンコラムニストの岩井真理さんがブラジルに住んでいた時に書いたコラム「ブラジル日系社会で最大の祭典、21万人以上が入場した「日本祭り」とは?」もぜひ読んでみてください。
Written by HIROMI(ブラジル)
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