MENU

7年ぶりの日本でカルチャーショック。ゴミの捨て方でお国柄を再認識

2022年10月10日
野林薫 (オーストラリア)

母のサポートで久しぶりの日本訪問

6月の半ばから3ヶ月ほど入院していた母がすっかり元気になり、施設入居が決まった9月の初旬。母のお引越しを手伝おうと、故郷の福岡市に2週間ほど滞在した。

今回の母の入院、退院から施設入居のため、5月半ばから9月初旬の間に2度日本を訪れたのだが、これが7年ぶりの日本訪問となった。

5月に日本を訪問した時は福岡市内のホテルに滞在したのだが、9月の訪問では、入院している母に代わって母のマンションの部屋に滞在し、部屋の片付けや施設入居に必要なものを揃えたりした。

昭和初期生まれの母は「捨てる」ということが苦手なようで、7年ぶりに訪れた母宅はおびただしい種類と数の「長年使っていないもの」で溢れていた。

すごい数のお惣菜のパックやコーヒー飲料のプラスチックのカップ、アイスクリームのカップの蓋などもきれいに洗浄されてあちこちに保管されていた。

郵便受けに入る広告などは、台所や洗面所の床の汚れ防止なのか、流しのそばの床に敷き詰められていた。

片付けをこよなく愛する私は、「ここは私の活躍の場所だ!」とばかりに、1週間かけて一心不乱に福岡市指定のゴミ袋(大)で31袋のゴミをまとめ上げた。

 

スーパーで感じたカルチャーショックと母への思い

母宅で一人でゴミと格闘した日々が去り気分的に余裕ができたある日、近所のスーパーで晩ごはんの買い物をしていると、レジの片隅に設置してあるたくさんのゴミ箱が目に飛び込んできた。

不思議な感覚を覚えながら近づいてみると、お惣菜のパック用、牛乳パック用、ペットボトル用と、それぞれのリサイクル用にゴミ箱が個別に設置されているではないか。

オーストラリアではこれらのリサイクルゴミは全て一つのリサイクル用のゴミ箱に入れるので、日本のこの繊細な分別を目の当たりにした私は、これらのゴミ箱の前でしばしボーゼンとしてしまった。

この時ふと思った。もしかしたら母は、この分別作業に追いついていけなかったんじゃないのだろうか。私の母は決してぐうたらな人ではない。いや、母は几帳面な人なのだ。

そういえば、以前母が「いや、それはそのゴミ袋に入れたらいかんっちゃん」とよく言っていたのを思い出した。

御年85歳の母。軽い精神病も患っていることもあり、もしかしたら、あの細かな分別作業は母にとってかなり困難なものだったのかもしれない。

母は、あのリサイクルゴミを捨てたくても捨てることができずに抱え込み、ストレスを感じながら暮らしていたのかもしれない。

 

ゴミ箱はどこ?

日本のゴミ捨て事情でもう一つ驚いたことがある。

福岡市で人気の秋祭り「放生会(ほうじょうや)」が3年ぶりに開催されるという話を聞いた私は、福岡を発つ前日にいそいそと筥崎宮へと足を運んだ。

数十年ぶりに見物した放生会は人で溢れかえっていて、「これぞお祭り」な雰囲気を味わうことができた。さらにお祭り気分を味わおうと、露店でたこ焼きを買って歩きながらいただいた。

さて、食べ終わって空になったパックを捨てようとゴミ箱を探したが、どこにも見当たらない。

ゴミは自宅に持ち帰ることが当たり前らしい日本の決まりを知らなかった私は、半ば手ぶらで放生会を訪れてしまい、その代償として、空になったたこ焼きのパックをずっと手に持ったまま放生会を見物する羽目になった。

手に持っている空のパックに少々イラっとしながらもひと通り見物した私は、そろそろ帰ろうと脇道に入った。すると、なんとそこには人々が捨てたゴミが歩道脇に山となっていた。

ここでまた、しばしボーゼンとした私。そう言えば、天神の街に行った時もゴミ箱がなかったよな~。

歩きながら食べたり飲んだりが結構当たり前なオーストラリアではちょっと信じられない光景だ。

次回日本を訪れる際は、「出かける時はゴミ袋持参」を忘れないようにしようと誓った、今回の滞在だった。

Written by 野林薫(オーストラリア)

この投稿をシェアする

イベント・セミナー一覧へ
コラム一覧へ
インタビュー一覧へ
ブックレビュー一覧へ
セカウマTV一覧へ
無料登録へ