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エクアドル版コミケ「BUDOKAN」で日本の魅力を再発見

2022年10月31日
マットン美貴子 (エクアドル)

スペイン語の名前をカタカナで書いてもらった人たちの反応

ところで、私が手伝った「スペイン語の名前を日本語で書く」というサービスはどうだったかというと、ブースのスポンサーである銀行の看板がすっかりアニメをメインテーマとした他のブースの存在感に埋もれてしまい、最初は客足が鈍かった。

だが、呼び込みのために雇われたモデルの声掛けが功を奏し、徐々に人が集まり始め、「日本語で名前を書いてくれるブースってここ?」と口コミを聞いて来てくれる人も出てきて、最後は行列ができるほどになった。

ブースの担当者が用意していたペンが何故か最初からインク切れで、私が「念のため」と思って持参した筆ペンが大活躍。書道を習ったことのない私がカタカナで書いてもそれなりに見えたのか、立ち寄った客の多くが喜んでくれた。

用意されたハイチェアーとテーブルでの作業は難しかったが、なんとか筆ペン効果で乗り切れた。

ブースを訪れてきてくれた人の中には数人、日本語を勉強している人もいて、去り際に恥ずかしそうに「ありがとう」と言ってくれる人もいて嬉しかった。

印象的だったのは、鬼滅の刃のTシャツを着た女の子が、すごく嬉しそうに自分の名前が書かれたカードを見て、「ありがとうございます」と、私に向かって合掌し深々と頭を下げてきたことだ。

アニメから覚えたジェスチャーなのかなと思ったけれど、合掌されたのは初めての経験だったので、びっくりすると同時になんか笑えた。

 

野口英世もびっくりしているかも?日本のアニメ文化

日本の漫画やアニメが海外で人気になり始めた頃、働き盛りだった私の読書の対象は、小説や漫画からビジネス本や自己啓発本に移行した。

海外で時間のできた今、遠く離れた南米で、エクアドルという異国の地で、日本のアニメ文化に夢中になっている人たちを見て、再びアニメや漫画に触れたいと思った。

今回の経験で、「海外に出てみてわかる日本の魅力」の一つとして、アニメも私の中に刻まれた。

ちなみに、このBUDOKANイベント会場のど真ん中には、1918年頃にグアヤキルで黄熱病の研究で功績を残した野口英世の銅像がある。

イベント当日は大勢の人や出店者のブースの陰に隠れ、存在感は影を潜めていたが、もしその銅像に野口英世の魂が宿っていたら、あの時代には存在もしなかった日本の新しい「アニメ」や「漫画」と呼ばれる文化がエクアドル人を熱狂させていることに、私以上に感慨深さを覚えているかもしれない。

Written by マットン美貴子(エクアドル)

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