MENU

6月18日は「移民の日」。海外移住の日におけるブラジルでの反応

2024年7月22日
HIROMI (ブラジル)

ブラジル日本移民開拓先没者慰霊碑の前で各ブラジル県人会の代表者、日本ブラジル国際機関代表と

6月18日海外移民の日をご存知ですか?

Olá!! ブラジル・サンパウロ州在住のHIROMIです。少し前になりますが、6月18日は「移民の日」でした。

1966年に総理府(現内閣府)が制定した「海外移住の日」ですが、これは116年前の1908年6月18日、日本からの最初の移民を乗せた「笠戸丸」がブラジルのサントス港に到着した日にちなんでいます。

ブラジルには初の集団移民781人を皮切りに、90年代前半までに約26万人が渡航しました。

日本国外で最大の日系人社会があり、現在は約270万人の日系人が暮らしています。

毎年6月18日のブラジル日本人移民の日には、首都ブラジリアの競技場などが日の丸模様にライトアップされます。

また、イビラプエラ公園にある「開拓先没者慰霊碑」で、ブラジル日本都道府県人会連合会とブラジル仏教連合会の共催で開拓先亡者追悼法要を行います。

この日には、開拓先没者を祖先に持つ家族やブラジルサンパウロにおける各県人会の代表者、各国際機関の代表の方など約60人が集まり、日系社会を代表して先没者を供養します。

清水享在サンパウロ日本国総領事も参拝し、「先人の志や偉大な功績は、私たちが次の世代に歴史を引き継いでいくための大切な道しるべになる。先人達に感謝と尊厳の念を」と哀悼の辞を述べられました。

私は故郷青森県のブラジル県人会代表として出席。開拓先没者たちの名前を記入した過去帳を持参し、供養していただきました。

 

過去帳から知るブラジル移民の歴史

法要の様子。お隣の国パラグアイから来られた僧侶も

私はブラジル青森県人会の副会長を務めるようになった数年前から、過去帳の記入を任されております。

移民の方達の出身地、年齢、没地などを調べていくと、当時の彼らの背景が分かるようになってきました。

初期移民は、誰しもが過酷な生活をせざるを得ませんでした。

コーヒー園で働くために雇われた移民は、質素な移民小屋に住むという生活環境でした。文化や習慣の違い、通じないポルトガル語の壁に加えて、風土病であるマラリアの流行にも直面します。

そんな厳しい境遇の中でも経済的独立を目指して毎日朝から晩まで働き、体を壊し亡くなった方も多くいらっしゃいます。

幼児や乳児を遺して他界してしまった方や一家全員が亡くなってしまった例もあり、それらの記録は過去帳でしっかりと感じることができるのです。

また、過去帳に名前が掲載されていない、亡くなった後に自宅の裏庭に葬られ、時と共に忘れられ、やがて無縁仏となってしまった方々もいると聞きます。

そのような先人たちの重みがある過去帳を法要に持って行き、供養してもらう役目は責任重大だと思っています。

 

幾多の困難を乗り越えた先人たちの御霊に深い感謝と敬意

ブラジル日本文化福祉協会で行われた大法要にて

法要の翌日も、ブラジル日本文化福祉協会の(以下、文協)大講堂で開拓先亡者大法要が行われ、そちらにも過去帳を持っていくという役目を務めさせていただきました。

幾多の困難を乗り越えた先人たちの御霊に深い感謝と敬意を表し、出席させていただきました。

私にはブラジルに渡った家族や親族はいませんが、今現在ブラジルで快適に過ごせているのは、過去の先人たちのおかげだと思っています。ですから、私はブラジル日系社会で自分なりにできることはしていこうと思っています。

おかげで、日本から来た日本人のHIROMIという私の名前は、この数年で現地の皆さんに知っていただけるようになり、大変嬉しく思っています。

感謝します!(Estou muito agradecida(do) !!! )※ブラジル・ポルトガル語でフォーマルな感謝を伝える表現なので、覚えておくと良いですよ。

日本からの海外移住者についての資料は以下のサイトから見ることができます。

・海外移住資料館 – JICA
・海外移住と文化の交流センター – Feel KOBE 神戸公式観光サイト

Written by HIROMI(ブラジル)

この投稿をシェアする

イベント・セミナー一覧へ
コラム一覧へ
インタビュー一覧へ
ブックレビュー一覧へ
セカウマTV一覧へ
無料登録へ