天皇皇后両陛下ご訪問の際にも式典などが執り行われるカリバタ英雄墓地
インドネシアに暮らして16年。その名を知っていても、近辺を通り過ぎることがあっても、これまで一度も立ち寄ったことがなかった「カリバタ英雄墓地(Taman Makam Pahlawan Kalibata)」を今年初めて訪れました。
インドネシア独立のために戦った人たちが眠るこの墓地には、日本人も埋葬されています。
昨年6月に天皇皇后両陛下のインドネシアご訪問の際のニュース映像で、この英雄墓地を目にした方もいるかもしれません。
これまでにも秋篠宮皇嗣同妃両殿下、小泉元首相、安倍元首相も訪問していますが、「この墓地になぜ日本人たちが眠っているのか、どのような人たちなのか」は、日本ではほとんど知られていないのではないかと思います。
1945年8月、日本の敗戦後、帰国せずにインドネシアに留まった残留日本兵の中には、その後すぐオランダとインドネシアとの間で始まった独立戦争に、インドネシア側に立って戦った方たちがいます。
その独立戦争で戦った元日本兵28人が、インドネシアの英雄としてカリバタ英雄墓地に埋葬されているのです。
ご縁と機会をいただき、「聞いたことがある・知ってはいる」程度だったこの英雄墓地を、初めて実際に訪れることができました。
中に入って最初の印象は、とにかく大きく、きれい。
英雄墓地は宗教別に区画され、国によってしっかりと管理されており、草むしりから拭き掃除まで、たくさんの清掃スタッフによって大切に手入れされています。
訪れたのは7月下旬でしたが、8月17日の独立記念日の準備がすでに始まっていました。
壁一面に掘られた英雄の名前も見ることができます。
中には無名戦士の記載も多く、ご遺体の状態から身元が分からなかった方たちが無名戦士として埋葬されているのだそうです。
専門のガイドのような人はいませんが、受付を済ませるとセキュリティ担当の男性が案内してくれました。
言語はインドネシア語のみですが、日本人のお墓の場所も把握しています。
1979年に残留日本人の皆さんによって設立された福祉友の会の現会長を務める、ヘル・サントソ・江藤さんのお父様のお墓もあります。
この福祉友の会の活動の中には、日本語で在留日本人向けにこの墓地を訪問するプログラムもあります。
会長であるヘルさんはインドネシア・日本両国の友好に寄与してきたその活動が認められ、昨年日本政府より外務大臣表彰を受賞されたそうです。
2014年、残留日本人最後の一人だった小野さんが亡くなりました。
以降、日本の敗戦後もインドネシアに残り、この国の独立のために戦った残留日本人のことは、そのご家族にあたる二世以降の方たちによって語り継がれています。
もしインドネシアに住んでいなかったら、私も残留日本人の方たちの存在を知る機会を得なかったかもしれません。
最後の残留日本人だった小野さんが亡くなられた際に、当地の日本語新聞に掲載された記事をシェアします。
ここで元日本兵がどんな思いで戦い、どんな暮らしをされていたのか、ぜひもっと多くの人にも知ってほしいと思います。
参照:
・ヘル・サントソ・江藤&マリコ・スルヤントが日本政府からの表彰を受賞 (ywp-indonesia.org)
・最後の元残留日本兵 死去 小野盛さん、享年94歳 英雄墓地に埋葬 | じゃかるた新聞 (jakartashimbun.com)
・農業、家族養うのがやっと バトゥで生きる「父は偉大」と息子 小野盛さんの半生 | じゃかるた新聞 (jakartashimbun.com)
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Written by スパルディ杏子(インドネシア)