Xin chào!(シンチャオ)こんにちは!ベトナム・ホーチミン在住のグローバルキャリアコーチYukaです。
8月は私たち家族にとって節目の月です。2016年の8月にシンガポールに家族で移住して以来、東南アジア暮らしを始めて丸8年が経過しました。
最初のシンガポールからタイを経て、現在のベトナム生活に至る経緯は、初回コラムの自己紹介でも書かせていただいています。そちらもぜひご覧ください。
8月生まれの息子たちも誕生日を迎え、それぞれ16歳と13歳になりました。息子たちはこれで人生の半分以上を海外で暮らしてきたことになります。
お陰様で家族皆、元気にホーチミンで暮らしていますが、この8年を振り返るとさまざまな出来事の連続でした。
それでもここまでを総括すると、「やっぱりこの選択で良かった!」と言い切ることができます。
今回は、9年目を迎えた今改めて思う「それでも海外に出てみて良かったと思う理由」について書きたいと思います。
40歳ワーママの私が「夢を諦めたくない!」と、家族を帯同して初めての海外に挑んだことから、私たち家族の生活は大きく変化しました。
「やっぱりあの時、海外に出てみて良かった!」と思う理由は以下の3つです。
・自分の弱さを出せるようになったことで、人を頼れるようになった。
・今までの人生では出会えなかった人たちとの豊かな繋がりが得られた。
・多様な価値観に触れられたことで、人生の選択肢が増えた。
実は私にとって、シンガポールは人生で初めての海外生活を始めた地です。それまで海外経験もなく、生まれも育ちも東京で、それ以外の土地に住んだこともありません。
それでも、人生で一度は海外で暮らしてみたいという思いがずっとあり、念願の海外赴任が決定した時には、「これから夢に見た海外生活が始まるのだ!」と意気揚々と現地に降り立ったのを今でも覚えています。
今思うと、かなり狭い世界で生きてきたのに、東京にいると何でも手に入るような気がしていて、そんな間違った全能感で錯覚していたところがあったように思います。
しかしながら、現実はそうも上手くはいかないものです。
初めてのグローバルな職場で何も発言できない自分に無力さを感じたり、海外でのワンオペ母子生活、そこに新環境に慣れない子供たちのストレスや反発が重なって、何もかも上手くいかない状況に人生最大の自己嫌悪に陥ってしまいました。
それでも、「自分が決めたことだから!夫も日本で頑張ってくれているのだから」と、当時はまだ日本にいた夫にすら、本当は辛いことを言えずにいました。
ダメな自分を認めたくない気持ちから、周りにもなかなか相談できず、なんとか自力で解決しようと孤軍奮闘していたように思います。
しかし、そのような状況にも限界が来ます。ついに自分に白旗を上げ、偶然知り合ったライフコーチをしていたママ友に、散々な自分の状況と本当は苦しい胸の内を打ち明けられたことから状況は大きく変わりました。
最初は「こんなことを話すなんて恥ずかしい」という気持ちの方が大きかったのですが、ママ友コーチに自分の気持ちを打ち明けた時に真っ先に出てきた言葉は、「今のこんな私も受け入れてくれている夫や子供たち、周りの友人や同僚への感謝の気持ち」でした。
そして、「全部を自分だけで完璧にこなそうとせず、人を頼ること」、そこに解決の糸口がありました。
できる自分でありたくて、自分の不甲斐なさが情けなくて強がっていたけれども、本当は誰かの助けを求めていること、そんな自分の弱さを出せたのが転機のきっかけとなりました。
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