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海外移住の理想と現実。孤独なジュネーブ生活を救ったサルサとフランス語

2026年4月27日
Towami (ドイツ)

待ち望んでいた海外転勤へ

こんにちは。スイスに8年、ドイツも8年目、会社員をしながら愛する家族とヨーロッパを旅するように暮らす、Towamiです。

このコラムは、私がどうやって今の生き方にたどり着いたのかを、自分自身の記録として。そして、もし「海外で、楽しく働き、愛する家族に支えられて、現地の文化を学びながら、幸せに生きる」人生を望んでいる人がいたら、何かヒントになればという思いで綴っているストーリーの3回目です。

第1回:私の海外移住の原点。ヨーロッパで生きる私の選択と気づき
第2回:「海外に行きたい!」挫折から駐在を掴むまでのリアル体験

ジュネーブへの転勤が決まった時、私の人生は大きく動き始めていました。

ずっと望んでいた「海外で長く暮らす」というチャンス。その時、ちょうど結婚の話が出ていたパートナーがいました。

でも、私はほぼ迷うことなく決めました。

「行く」

海外で暮らすことは、ずっと心の中にあった夢だったからです。

住む場所が離れても一緒でいられるように、パートナーとは婚約をして、私は単身でジュネーブへ渡りました。

 

「憧れていた世界」のはずが、すべてを失った感覚に

毎日自転車通勤で見ていたジュネーブの風景

実際に始まったジュネーブでの生活は、想像していたものとは大きく違っていました。

それまで、東京の都心のど真ん中にある会社の寮に住み、にぎやかで便利な毎日を過ごしていた私にとって、ジュネーブは驚くほど静かな場所でした。

街は小さく、土曜日は夕方にはほとんどのお店が閉まり、日曜日はどこも開いていない。

土日は買い物や外出を楽しんでいた私にとって、ジュネーブでは週末をどう過ごしていいのかすら分かりませんでした。

着いた日の翌日が日曜日で、道に誰もいなくて、「私は夢の中にいるの?」と怖くなって一人で爆走した思い出があります(笑)。

街並みも味気なく、みんなが描くヨーロッパの街とはまったく違う世界。退屈で、寂しくて、心細かったのを覚えています。

それ以上に辛かったのは、友達がいないことでした。友達がゼロの状態が、3か月以上続きました。

東京では声をかければ30人くらい集めてパーティーができるほど社交的だったのに、ジュネーブでは誰もいない。

気づけば毎日、会社に遅くまで残り、窓の外を眺めていました。

赴任したのは4月でしたが、7月になると、湖沿いで大きな夏祭りが始まります。

盛り上がっている様子を会社の窓からぼんやり眺めながら、「いいな、私も友達と一緒に行きたいな」と寂しく思っていました。

 

仕事でも「何もできない人」になってしまった

夏祭りの季節のライトアップされた景色

さらに追い打ちをかけたのが、仕事でした。

東京では新卒から3年間働いた結果、それなりに仕事を任せてもらえるようになっていたのに、ジュネーブに来た瞬間、私はまた「何もできない人」になり下がりました。

営業の仕事なのに、英語で電話をかけることができない。電話をかけても言葉が出てこなくて、もごもごして、何も話せずに切ってしまう。

そして、自己嫌悪に陥る。その繰り返しでした。

突然来て、きっとすぐに去っていく駐在員に、大事なお客さんは任せられません。

「お客さんは自分で見つけろ」と言われ、スイスの金融機関がすべて載っている赤い本を渡され、毎日調べて、でもなかなか新しいお客さんは見つからず。

毎日、本当に大したことができていなくて、そんな自分がふがいなくて、会社のトイレに入るたび、「このまま消えてしまいたいな」と何度も思っていました。

キャリアも、信頼も、人間関係も、すべてがリセットされて、ゼロになったような感覚でした。

仕事もつらい。プライベートな生活も存在しない。正直、何度も思いました。

「もう無理かもしれない」
「すべてあきらめて、帰った方がいいかもしれない」

でも、最終的に私が選んだのは、「とりあえず、しがみつく」という選択でした。

 

目の前の「できること」が転換点に

劇的な解決策はありませんでした。だから私は、目の前の「できること」からやることにしました。仕事はすぐにはどうにもならない。

友達がいなくて街でもやることがなかったので、それまでは家で毎日ネットサーフィンをして過ごしていた3か月でした。

ある日、ふと見かけた地元のアクティビティを掲載する掲示板で、キューバサルサのスクールを見つけ、なんとなく、始めることにしました。

これが転換点になりました。

そのレッスンで出会った人たちと少しずつ会話をして、一緒にサルサのイベントに出かけるようになり、気づけば少しずつ友達ができていきました。

また、サルサのスクール参加者には私のようなExpat(海外から来た滞在者)も多かったのですが、踊りの場に行くと、たくさんのローカルやジュネーブに長期で住んでいる地元民のような人がいて、サルサのおかげで、少しずつジュネーブのローカルの友達にも出会うことができました。

スイス人はスイス人同士でかたまっているので、コミュニティに入るのは難関と言われますが、サルサで出会った友達のおかげで、彼の幼少期からのコミュニティに入れてもらえて、どんどん友達が増えていきました。

 

人生を大きく変えたもう一つの挑戦

本気を出し始めたフランス語の勉強も、私の人生を大きく変えました。

フランス語学習については、過去の記事でも詳しく書かせていただいていますが、最初は「いつまでいるか分からないし」と、まったく本気で学ぶつもりがなかったフランス語。

スーパーでお米さえ買えなかった経験を通じて、「どうせ友達もいなくて暇なんだから、この機会に基本だけでもマスターしておこう」と取り組むことにしました。

最初は会社の経費でマンツーマンの先生と、完全にフランス語だけの会話でゼロから学び、その後は会社の帰りに自費で語学学校に通い始めました。そして、どれだけ下手でもいいから、日常で使うようにしました。

サルサで出会った現地の友達とも、一生懸命習ったフランス語で話しているうちに、だんだんと基本的な会話はできるようになっていました。

フランス語が少しずつ話せるようになり、現地の人とも関われるようになり、プライベートが少しずつ楽しくなってきた頃、私はふと思いました。

「ああ、今、私は自分の第二の人生を作っているんだ」

 

どんな時も自分の人生は自分で作れる

時々走るレトロな路面電車(普通はもっとモダンです)

最初の数か月は、本当に苦しかったです。でも、あの時逃げずに、しがみついてよかったと今は思います。

「今、すべてをなくして、ゼロから始めないといけないとしたら、どうする?」とどこかの本で読んだことがありました。

私は、ジュネーブでのあの経験を思い出して、人生を立て直すと思います。

さて、友達ができて、サルサに明け暮れて、プライベートが楽しくなってきてからも、仕事では引き続き「使えないやつ」の立場で、つらい期間が続きました。

次回は、何をきっかけに海外での仕事が楽しくなってきたのかについて、触れたいと思います。

私がどんな選択を重ねて今の生き方にたどり着いたのか、その思考と感情のプロセスを綴っていきたいと思っています。

一方、私のメルマガでは、こうした人生設計の話に加えて、

・ヨーロッパで実際に使ってきた語学学習法
・多言語を仕事と人生にどう結びつけてきたか
・海外で働きながら暮らしを整える考え方
・日々の小さな選択と気づき

などを、よりリアルに、お役立ちテクニックも含めて書いています。ブログよりも少し近い距離で、実験的で正直な思考を共有しています。

もし興味があれば、こちらからどうぞ。最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

Written by Towami(ドイツ)

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