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「世間の正解」を捨てた私がスイスで自分らしい人生を築くまで

2026年6月30日
Towami (ドイツ)

母の死と、人生の問い直し

こんにちは。スイスに8年、ドイツも8年目。ヨーロッパを旅するように働いて、暮らす、Towamiです。

こちらは、私がどうやって今の生き方に辿り着いたのかを、自分自身の記録として、そして、「もし、海外で働きながら、自分らしく生きてみたい」と思っている人がいたら、何かヒントになればという思いで綴っているストーリーの第5回目です。

第1回から第4回では、「海外で生きたい」と思った原点、海外駐在を掴むまでの道のり、ついに念願だった初の海外生活のジュネーブで一度すべてを失ったように感じたこと、そして、仕事が「楽しい」と感じるまでに鍛えてくれた、上司との出会いについて書いてきました。

第1回:私の海外移住の原点。ヨーロッパで生きる私の選択と気づき
第2回:「海外に行きたい!」挫折から駐在を掴むまでのリアル体験
第3回:海外移住の理想と現実。孤独なジュネーブ生活を救ったサルサとフランス語
第4回:スイス・ジュネーブで雑用係だった私を変えた上司から学んだこと

2011年の5月。ジュネーブに駐在して、ちょうど1年が経った頃に、私の母が、癌で亡くなりました。

赴任した年の年末に母の末期癌が見つかりました。でも、そのことを私が知らされたのは翌年に入ってからでした。

「遠くに住むTowamiを心配させないように」という家族の配慮がありました。

それからの半年間は、母の病院を訪ねるために、日本とスイスを何度も往復する生活でした。

2011年3月11日の大震災が起こった時は、私は母の病院に行く途中でした。

日本全体が揺れている中で、自分の家族も、私の人生も揺れていて、目の前が真っ暗に感じました。

「このままどうなってしまうんだろう。母が家に帰ることができたとしても、誰かが面倒を見なくてはならない。私は駐在に来たばかりだけれど、やはり日本に帰らなければいけないのだろうか」

いろんな不安が押し寄せてきて、本当に辛い半年でした。

そして、母は亡くなりました。

同じ頃、別居という形で送り出してくれていた結婚生活にも、少しずつ疑問を感じ始めていました。

 

ずっと「世間の正解」を選んできた

振り返ると、それまでの私は自分の気持ちよりも、「世間一般的に良いとされる選択」を優先して生きてきたように思います。

高校も本当は兄が行っていて楽しそうだった地元の公立高校に行きたかった。でも、「成績が良いのだから国立を受けた方がいい」と言われ、そのまま合格し、もやもやした気持ちのまま、国立に進学しました。

大学受験の時も、自分が「ここに行きたい」と思った大学を選んで合格したのに、「もっと頑張れば別の大学に行けたかもしれない」「お金もないのに、あの選択でよかったのだろうか」「周りはどう思うんだろう」と悩み続けました。

一般的に見たら、私は間違った選択をしたような気がしていました。そして、その後悔があまりにも苦しくて、鬱のような状態になりました。

「このままでは抜け出せない。環境を変えなければ」そう思って、私は生まれて初めて海外へ飛び出しました。

家族の誰もパスポートも持っていなかった状態で、一人で大学の生協に行き、2週間のカナダ語学留学を申し込んだ話は、過去の回で書きました。

あれは、「海外に憧れていたから」ではなく、「ここから出なきゃ」と思ったからでした。

結婚も、少し似ていました。

相手は、素晴らしい人でした。私の母とも仲が良く、私の一番仲の良い友達も「あんな人と結婚できて、本当によかったね」と言ってくれていました。

でも、今思えば、「私がどうしたいか」よりも、「一般的に見て素晴らしい人だから」という理由が大きかったのだと思います。

日本に住んでいた時、私は、自分の気持ちがよく分からない人間でした。

「どう思う?」「どっちがいいと思う?」「普通はどうする?」

そんなふうに、いつも誰かに答えを求めていました。

 

「もっと自分の気持ちに素直になっていいんだよ」

最近引っ越したフランクフルトのアパートから見る夕焼け

そんな私に大きな転機をくれたのは、ジュネーブで出会ったスイス人の友人でした。

イタリア人のルーツを持つ彼女はとても情熱的でいつも自分の気持ちに従っている女性です。

時には「それは勿体無いんじゃない?」「それはやめたほうがいいんじゃない?」と周りが言うような選択も、躊躇なくするような子でした。

ある日、私は彼女に自分の迷いや葛藤を話しました。

すると、彼女は不思議そうな顔でこう言ったのです。

「でも、もう続けたくないって、気持ちははっきりしているじゃない?どうして踏み出さないの?もっと自分の気持ちに従って決めて、いいんだよ」

私は衝撃を受けました。

自分の気持ちを優先していい。情熱に従っていい。自分の人生を、自分で選んでいい。他の人が大反対しても、周りの人に一斉に批判されても、関係ない。

そんな当たり前のことを、私はそれまで一度も教わったことがなかったのです。

そして、私は離婚することを決めました。誰かを責めたかったわけではありません。

ただ、「私はどう生きたいのか」という問いに、初めて自分の言葉で答えた結果でした。

 

日本に帰る理由がなくなった

夫の実家、ボルドーの水鏡。息子の誕生日とクリスマスの1年に2回は義理の実家に帰省します

母が亡くなり、結婚という日本とのつながりもなくなりました。そして、私は、ぼんやりと思いました。

「ああ、もう、日本に帰る必要はないのかもしれない」

ジュネーブでは友達が増えていました。フランス語も少しずつ話せるようになっていました。仕事はまだいまいちだったけれど、自分なりの第二の人生を少しずつ築いていました。

そして、気づけば、「ここにずっと住みたいな」と思うようになっていました。

正直に言うと、ジュネーブは退屈な街でした。パリみたいに綺麗な建築もない。ミラノみたいに楽しいショッピングもない。歴史的建造物も少ない。物価は高い。

好きでない点もたくさんありました。

でも、そういう嫌なところも全部含めて、私はジュネーブという街と、そこでの生活が好きになっていました。そして、スイスという国が大好きになっていました。

「この国でお墓を作って、ここで死にたい」そう思ったのです。

「数年後に、『ああ、ジュネーブの生活は良かったな』、『スイスにずっと住んでいる人はいいな』と言っている自分にはなりたくない」とも思いました。

 

上司の助けが人生を変えた

ジュネーブの湖水浴場、“バンデパキ”から見るアルプスの山

そんな頃、私は当時の上司に(※前回の話に出てくる上司とは変わっていました)「もう日本に帰るつもりはありません。ずっとスイスに住みたいと思っています。なので、駐在員ではなく、現地採用として働きたいです」と伝えました。

日本企業において、駐在員がローカル契約への変更を希望することは、決して歓迎されることではありません。

人事の計画にも大きな影響を与えます。普通であれば、叱責されて終わる可能性が高いと思います。

でも、当時の上司は、部下の本当の幸せを考えてくれる人でした。

「わかった。できるかどうかは分からないけれど、できる限り、やってみよう」と言ってくれました。

そう言って、社内のさまざまな人に掛け合い、普通なら難しい駐在員からローカル契約への変更を実現してくれたのです。

今思い返しても、あれは決して当たり前のことではなかったと思います。

自分の部下の「こう生きたい」という希望を、面倒だから、会社が反対するだろうから、と切り捨てることもできたはずです。

それでも、その上司は私の人生と私の幸せを尊重し、最善を尽くしてくれました。

素晴らしい上司に出会えたことは、私の努力でも選択でもありませんが、本当にラッキーとしか言いようがなかったと思います。

その後、私はスイスの永住権を取得しました。

また、スイスではスイスの学校を出ていることが何かと有利に働くことを知り、働きながら、ジュネーブ大学でExecutive MBAを取得することも決めました。

こうして、私は、「いつか帰る駐在員」ではなく、「ここで生きる人」としての人生へと、舵を切っていったのです。

 

人に助けられて、ここまで来た

出張で毎週行く、パリの街並み

今振り返ると、私は自分一人の力でここまで来たわけではありません。

附属大学の生協で、初めての留学を後押ししてくれたお兄さん。「東南アジア青年の船」を教えてくれたお客様。

駐在のチャンスを与えてくれた当時の上司や、人事の人たち。「君は何もやっていない、もったいないよ」と言ってくれた上司。「自分の気持ちに従って、決めていい」と教えてくれた友人。

そして、「部下の幸せを一番に」考えて、全力でサポートしてくれた上司。

私は、人との出会いに恵まれてきました。

もちろん、自分でも選び、行動し、時にはしがみついてきました。でも、今まで成し遂げたことの、どの一つも、一人ではできない。

誰かが差し伸べてくれた手を受け取りながら、そのたびに少しずつ、自分の人生を作ってきたのだと思います。

母が亡くなり、結婚も終わり、日本に帰る理由もなくなりました。

でも、不思議と私は不幸ではありませんでした。

新しいジュネーブの友達がいて、新しい言葉、フランス語を話して、第二の人生を築いていた私は、「ここで生きたい」と初めて、自分の気持ちで人生を選んだのです。

世間の正解ではなく。誰かの期待でもなく。

「私はどうしたい?」

その問いに、自分の言葉と行動で、答えられた瞬間でした。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

次の記事では、私が全力で働きながら、健康に幸せに暮らせるように、ずっと支えてくれている、今の夫との出会いについても書いてみたいと思います。

一方、不定期で更新しているメルマガでは、こうした人生設計の話に加えて、

・ヨーロッパで実際に使ってきた語学学習法
・多言語を仕事と人生にどう結びつけてきたか
・海外で働きながら暮らしを整える考え方
・日々の小さな選択と気づき

などを、よりリアルに、お役立ちテクも含めて書いています。

また、下記をテーマにした個別コンサルも行っています。

・社会人からの語学習得
・幸せな海外生活の実現(国際結婚とパートナーシップ、海外バイリンガル子育て、海外キャリアなど)

個別コンサルの詳細についても、メルマガ内でご案内しています。お気軽にご登録ください。

Written by Towami(ドイツ)

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