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亡命希望者との交流で知った、自国に住めない人々の現実

2026年7月6日
野林薫 (オーストラリア)

自国に住むことが命の危険となる世界

数年前、シドニーにあるAsylum Seekers Centreで、1年ほどボランティアを体験しました。

Asylum seeker(亡命希望者)とは、自国で迫害を受けていたり、受けるおそれがあったりするため、他国に保護を求め、難民認定の結果を待っている人たちのことです。

私が初めて「難民の存在」を肌で意識したのは、フセイン政権時代にイラクから亡命してきたという人物と出会った時でした。

そんな私がAsylum Seekers Centreでボランティアを始めると、「亡命」という言葉に対するイメージは少しずつ変わっていきました。

 

亡命の理由は意外にもたくさんあった

ボランティアを始めて最も驚いたことは、亡命の理由が実にさまざまだったことです。

もちろん、戦争や政治不安から逃れてきた人もいます。しかし、それだけではありません。

信仰する宗教を理由に命の危険にさらされた人々。

性的指向や性自認を理由に、自身だけでなく家族までも危険にさらされてしまった人々。

民族や社会的な立場によって差別や迫害を受けている人々など、その理由は実にさまざまです。

一人一人の背景を知るたびに、「亡命」という言葉の向こうには、それぞれの人生があるのだと気付かされました。

 

「亡命希望者」で括らず、「一人の人間」として向き合う

Asylum Seekers Centreで出会った人たちは、「亡命希望者」という言葉だけでは表せない人たちでした。

センターで提供される無料のランチをみんなで食べながら、楽しそうにおしゃべりする彼らの笑顔に、心が和むこともありました。

自国での境遇や体験について話を聞かせてもらう機会もあり、自分の視野の狭さを思い知らされたこともあります。

PTSDを抱えている人も多く、自分が生まれ育った国で暮らしていながら、命の危険を背負わなければならなかった人たちの心の安らぎを願ったこともありました。

実際に亡命希望者たちと出会い、話を聞くことで、自分の思い込みが次々と崩れていき、「移民としての自分」についても改めて考える機会となりました。

 

知ることは、思い込みを捨てること

ボランティアを始める前の私は、「亡命」についてある程度は知っているつもりでした。

けれど、本当に知っていたのは、ニュースで見たほんの一場面だけだったのです。

世界には、自分が知らない背景や事情がたくさんあります。

そして、自分には想像もできないような壮絶な人生を歩んでいる人たちもいます。

そのことを心に留めておくだけでも、人を見る目は少し優しくなるような気がします。

Written by 野林薫(オーストラリア)

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