
以前、日本帰国時に90歳近い母の家を訪ねた時、お惣菜のパックや飲み物の紙パックがきれいに洗われて積み重なっていました。
「どうして捨てないんだろう?」その時は少しイラッとしたのを覚えています。
しかし、母の家の近くのスーパーに並ぶ複数のゴミ分別箱を見た瞬間、ふと考えました。
「この分別方法は、高齢者にとって本当に優しいのだろうか」
今回は、オーストラリアで暮らす私が感じた、日本とオーストラリアのゴミ分別の違いについてお話しします。

日本のゴミ分別は、世界でもトップクラスと言われるほど細かく整備されています。
プラスチック、紙パック、ペットボトル、缶、瓶。自治体によってルールも異なり、リサイクルへの意識の高さを感じます。
一方で、その仕組みを支えているのは、一人ひとりの丁寧な作業です。容器を洗い、ラベルをはがし、曜日ごとに分けて出す。
当たり前のように続けていることでも、年齢を重ねるにつれ、それは少しずつ負担になっていくのかもしれません。
高齢で、手先の力が弱く、視力も悪い母が空容器を洗って溜めていたのは、「捨て忘れていた」のではなく、それでも「きちんと分別しよう」としていたからでした。
その姿を見て、自分の見方が変わりました。

オーストラリアでは、地域によって違いはありますが、私の地域では、3種類に分けられます。
赤いゴミ箱には可燃物。黄色いゴミ箱には、ペットボトル、段ボール、野菜やお惣菜、飲み物のパックなどのリサイクルゴミ。緑のゴミ箱はには庭木などのグリーンゴミといった比較的シンプルな分別が主流です。
ゴミ袋を使用するのは可燃物だけで、使用するゴミ袋はスーパーなどで、自分が好きなメーカーのものを使用します。
もちろん、日本ほど細かく分別していないからといって、それが正解というわけではありません。それぞれの国で事情や考え方は違います。
ただ、私には、オーストラリアは「誰でも無理なく続けられる仕組み」を大切にしているように映ります。
環境を守ることと、人が続けられること。その両方のバランスを考えているように感じるのです。

環境を守ることはとても大切です。けれど、それと同じくらい大切なのは、子どもも高齢者も、誰もが無理なく続けられる仕組みではないでしょうか。
母が一つ一つ空容器を洗っていた姿を思い出すたび、私は「環境に優しい社会」とは、「人にも優しい社会」であってほしいと思います。
どれだけ理想的なルールでも、続けられなければ意味がありません。
環境への優しさ、人への優しさ。その二つが両立する社会こそ、本当の豊かさなのかもしれません。
Written by 野林薫(オーストラリア)