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マレーシア教育移住で育った息子の「日本人としてのアイデンティティ

2026年8月12日
土屋芳子 (マレーシア)

「教育移住」で直面するアイデンティティの問い

マレーシア、クアラルンプールからこんにちは。土屋 芳子です。

最近、「マレーシアはもう安くないですよね」と言われることが増えました。確かに、ここ数年で物価はかなり上がり、円安の影響も重なって、私自身も生活費が以前の1.5倍以上になったように感じています。

「安いからマレーシアへ」という時代は、もう過去の話なのかもしれません。実際、日本へ帰国する人も以前より増えたように感じます。

一方で、海外に目を向け、仕事や生活の拠点として、あるいは子どもの教育を目的に、マレーシアへ新しく移住してくる日本人も少なくありません。

そんな教育移住を考えている方と話していると、よく話題になるのが子どものアイデンティティです。

「海外で長く暮らしたら、日本人としての意識はどうなるの?」これは、私自身も子育てをしながら何度も考えてきたことでした。

そこで今回は、マレーシア生活13年目になる、もうすぐ15歳の息子について書いてみたいと思います。

もちろん、海外で育つ子どもがみんな同じようになるわけではありません。周囲の環境、家庭で使う言語、学校、親の考え方などによって、その感じ方は大きく違います。

あくまで我が家の場合として、読んでいただけたらと思います。

 

2歳3か月から始まったマレーシア生活

私が仕事と子どもの教育を目的にマレーシアへ来たのは12年前。当時、息子は2歳3か月でした。

2歳3か月から5歳まではモンテッソーリ式の幼稚園へ。息子以外の日本人は、もう一人いるかいないかという環境でした。

小学1年生から現在の高校2年生までは、同じインターナショナルスクールに通っています。

途中、私の引っ越しに伴ってジョホールバルからクアラルンプールのキャンパスへ移りましたが、同じ学校です。

小学生からは国際バカロレア(IB)式の教育を受け、同じクラスや学年にいる日本人は、常に1〜2人いるか、いないか。

学校では英語、家に帰れば、私や主人とは日本語で会話します。小学生の頃には週1〜2回、日本人の友達と日本語で話す機会もありましたが、生活の大部分は英語でした。

日本語補習校もなかったため、特別な日本語教育を続けたわけでもありません。

そんな環境で育った息子は、果たしてどんな「日本人」になったのでしょうか。

幼稚園〜小学校低学年:「日本人」であることを意識していた頃

小さい頃の息子は、意外にも英語より日本語のほうが得意でした。ひらがなやカタカナは、私が短期集中で教えたので、一通り読み書きができました。

周囲の環境は英語中心なのに、自分から読む本も、YouTubeで見る番組も、日本語のものばかり。

そして、この頃の息子には、かなりはっきりと「日本人」という意識がありました。

私自身も、「日本人なんだから、靴を揃えなさい」「日本人なんだから、身の回りをきれいにしなさい」「人に迷惑をかけないようにしなさい」といったことを、かなり言っていたと思います。

今思えば、私自身が「日本人としてこうあってほしい」という価値観を、子どもに伝えていたのだと思います。

息子も、日本に対する憧れが強く、休みになると「早く日本に行きたい」とよく言っていました。

小学2年生と3年生の時には、夏休みに日本の小学校へ3週間ほど通いました。日本の学校生活を実際に経験したことで、日本の良さを改めて感じたようです。

この頃の彼にとって、「日本人であること」は、かなり身近で、そして誇らしいものだったのだと思います。

 

小学校高学年〜中学生:「日本は好き。でも、日本だけではない」

ところが、少しずつ変化が始まります。コロナ禍で在宅オンライン学習の期間が長くなったこともあり、次第に、読むものも観るものも英語のコンテンツが増えていきました。

漢字の勉強などを特に続けてこなかったこともあり、日本語より英語のほうが圧倒的に使いやすい言語になっていきました。

そして、日本への憧れも、少しずつ薄れていきました。

もちろん、日本は好きです。特に「日本は食べ物がおいしい」という評価は、今でもかなり高い(笑)。

ただ、将来働く場所については、「日本以外のほうが、もっとライフバランスが良さそう」というイメージを持つようになりました。

もちろん、まだ15歳なので、日本の労働環境について詳しく知っているわけではありません。それでも、彼の中では、「日本=自分が将来暮らす場所」ではなくなっていったようです。

彼の感覚を色で表すなら、「マレーシアはカラフル。でも日本はグレーっぽい」なのだそうです。

これは、私が日本人として日本を見る感覚とは、ずいぶん違います。

 

中学生〜高校生:「日本人であること」が特別ではなくなった

そして今。15歳になろうとしている息子が読む本も、観る映画や動画も、ほとんど英語です。学校にも日本人はほとんどいません。

友達から「日本に旅行したい」「日本食が好き」といった話題を振られることはあるようですが、日本人だから特別に注目されることも、日本人だから差別されることも、ほとんどありません。

つまり、「日本人である」ということが、日常の中で特別な意味を持たなくなっているのです。

これは、私にとってとても興味深いことでした。

私が物事を見る時には、どうしても「日本人としての視点」や「日本の歴史や文化」をベースに考えます。

「日本だったらこうなのに」「日本人ならこうするよね」という発想が、自然と出てきます。

でも、息子にはそれがほとんどありません。

良いものは良い。
悪いものは悪い。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
ただ、それだけ。

「日本だから良い」「日本人だからこうあるべき」というフィルターが、あまりないのです。

周囲にはいろいろな国籍の友達がいて、音楽の好みも、好きな映画も、文化的な背景もそれぞれ。

「みんながこれを好きだから、自分も好き」という感覚もあまりありません。

もし、日本のアニメや漫画が大好きなコミュニティの中で育っていたら、「日本人であること」や「日本の文化が世界から評価されていること」に誇りや喜びを感じる機会も、もっとあったかもしれません。

でも、彼の周囲には、そうした環境が特にありません。だからこそ、とてもニュートラルなのだと思います。

もう一つ、面白いと感じたことがあります。

私が「外国人」と言う時、それは日本人以外の人を指します。

息子が日常生活の中で「外国人」と言う時、それは主に欧米人を指します。

なぜなら、彼自身にとっては、日本人も中国人も韓国人もマレーシア人も、みんな「アジア人」という大きなくくりの中にいるから。

日本で生まれ、幼い頃からマレーシアで暮らし、さまざまな国籍の友達に囲まれて育った彼にとって、「日本人」という国籍は、彼自身を構成する一つの要素ではあっても、それがすべてではないのです。

 

「日本人としてのアイデンティティを失った」のか?

では、私はそれを見て、「日本人としてのアイデンティティを失ってしまって残念」と思うでしょうか。私は、そうは思いません。

むしろ、「こんな人間になったのか」と、新人類を見るような感覚があります。

もちろん、親として「日本語や日本文化をもう少し伝えればよかった」と思うことはあります。

でも、12年前にマレーシアへ来た時、私が息子に願っていたのは、「日本人として立派な人になってほしい」ということではありませんでした。

「世界のどこへ行っても、自分らしく生きられる人になってほしい」という思いがありました。

そう考えると、今の息子は、ある意味で私が願っていた方向へ進んでいるのかもしれません。

日本人であることを否定しているわけではない。
日本が嫌いなわけでもない。
ただ、日本人であることを必要以上に意識していない。

「自分は日本人だから」というより、「自分は自分」という感覚に近いのだと思います。

これから大人になり、どこかの国で働き始めた時、ビザや国籍という現実的な壁にぶつかることもあるでしょう。

その時初めて、「自分は日本人なんだ」と強く意識する日が来るのかもしれません。

あるいは、このまま国籍という枠をそれほど意識せずに生きていくのかもしれません。

それはまだ分かりません。でも、私はそれでいいと思っています。

海外で子どもを育てるということは、「日本人としてのアイデンティティをどう残すか」だけを考えることではないのかもしれません。

日本を知った上で、世界を見る。日本人であることを持ちながら、日本人という枠だけに縛られない。

そして、自分がどこに属するのかを、誰かに決めてもらうのではなく、自分自身で考えられる。

13年間のマレーシア生活を振り返ると、私が息子に与えたかったものは、もしかしたら「日本人としてのアイデンティティ」ではなく、「世界の中で、自分自身のアイデンティティを作っていく力」だったのかもしれません。

Written by 土屋芳子(マレーシア)

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