旅を進める中で、彼女は自分の中にあるバイアスに気づきます。偏見なんて持っていないと思っていたつもりが、無意識の固定概念に直面したのです。
「白人のホームレスに付きまとわれている時に、黒人の方に優しく助けてもらったことに驚いた自分がいました。それまでの私の中の黒人像は大阪のアメリカ村で見る人達だったなぁと。コミュニケーションとして英語が話せるということと、ネイティブであるというのは違うという事にショックを受けました。同時に『母国語じゃない国で働く非ネイティブの人達ってすごい』と心から思いました」
また、ビザと金銭感覚の2つにおいて、日本と世界での大きな違いを経験します。
「日本人バックパッカーの合言葉として『パスポートとお金とやる気さえあれば世界のどこにだっていける』というのもがあります。私もその言葉を信じていて、『どうしたら世界一周行けるの?』と聞いてくる人にはその合言葉を返していたんです。
ある時インド人から『自由に旅行できてうらやましい』と言われて、いつもと同じように返答しました。その時に見せられたのが、インドのパスポートでビザなしでいける国のリストでした。50カ国ほどだったんです。日本のパスポートだと190か国ほど行けるのですが…。
調べた中ではアフガニスタンパスポートが一番少ないですね。どこに住んでいようと、どんなに優秀だろうと、アフガニスタン国籍だと20か国ほどしかビザなしで行けないんです。生まれた国によって可能性が制限されてしまうということを突きつけられました。
またある時、トルコ人から世界一周にかかる費用を聞かれ、私は『200万円くらい』と答えました。実際1泊数百円くらいのところによく滞在していましたし。日本人からしたら『それなら私もできそう』と思ってもらえる金額ですよね。でもその子は悲しそうな顔で『インポッシブル』と言ったんです」
トルコの平均収入は日本の3分の1ほどであるにもかかわらず、家賃などの物価は高く、世界旅行なんて夢のまた夢。日本人の当たり前は世界の当たり前ではありません。
嫉妬してもおかしくない状況なのに「なぜそんなに優しくしてくれるの?」と聞いてみると、こんな答えがかえってきました。
「華子は挑戦する権利を持っていて、それに挑戦している。私達は挑戦する権利がないけど、君を通して世界を見ているんだよ。君は私達のヒーロー。だからこの後もSNSで発信し続けて世界を見せてね!」
胸が熱くなる感覚に、彼女は彼らのために自分ができることを考え始めます。そして社会起業家になることを決意したのです。
長らく考え続けて辿り着いたのが、外国語対応の人材派遣業の設立でした。5~10年前は外国語対応に特化したイベント派遣業者がなく、そこに目をつけました。
もともと彼女自身、イベント業界での派遣アルバイト経験がありました。この仕事の長所は、いつでも好きな時に始められて、能力があれば給与に反映されること。
「母国語でない国で日本語だけで勝負しているのに、外国人の給料が安いのは不公平。国籍に関係なく彼らの能力が最大限に発揮できる場を作れると思いました」