2年半お世話になったホームステイのお母さんと
真由美:イギリスでの就職を希望していましたが、当時は今の様に情報を得ることが容易ではありませんでしたので、日本で就職し、職歴を作ってからイギリスでの就職の機会を作ろうと考えました。ロンドンで日本人留学生や日本語ができるイギリス人を対象にした日本の会社が集まる集団就職説明会に参加し、海外にも支店がある人材派遣会社パソナに就職しました。
パソナには3年間勤めたのですが、イギリス熱は冷めず、英会話学校に通い続け、夢を持ち続け、資金も貯めていました。留学中に出会った香港人の友人達に「香港に遊びにおいでよ」とずっと誘われていたこともあり、香港へ遊びに行きました。まだ中国返還前だった香港はイギリス人がとても多く、イギリス文化が色濃く残っていて、すっかり好きになってしまいました。帰りの飛行機の中で「香港への道を探す!」と決めました。
「イギリス領である香港で就職したらイギリスに行くチャンスもできるかもしれない」という思いと、まだ二十代半ばだったこともあり、人材業だけではなく他の業界での経験もしたいと思い、先輩からの紹介で日本の銀行への転職が決まり、1994年、まだイギリス領だった香港へ移住しました。
容子:今はすっかり中国返還への道が色濃く出始めた香港ですが、まだイギリス領の雰囲気でいっぱいだったのですね。すごい変化ですね。香港での仕事は如何でしたか?
真由美:駐在員も現地採用の日本人も、もちろん殆どが香港人の総勢200人近いスタッフメンバー皆が仲良く、上司や同僚からも色々と教えていただき、勉強になった4年間でした。ただ、1998年に当時勤めていた銀行が破綻してしまい、転職の流れになりました。そこで、金融業界に残るかどうか迷いました。
1年間アメリカ人の友人の会社で、海外の展示会の様子をDVDに起こして販売するという仕事をし、その1年後、人材紹介をしている先輩から「テンプスタッフ香港が事務所マネージャーを探している」と声をかけていただき、また人材業に戻ってみたい気持ちもあって応募しました。
テンプスタッフ(現パーソル)は当時は香港とシンガポールにしか事務所がなく、篠原欣子社長が自ら海外支店を見ていましたので、面接で直接お会いしました。アメリカのフォーチューン誌に12年連続で世界最強の女性経営者に選出され、2009年には、第37位にランクインされるほどの凄腕女性社長です。当時、日本では女性起業家で、ここまで大きな会社を引っ張る方はあまりいらっしゃいませんでした。
容子:面接では、どんなことをお話しされたのですか?緊張されましたか?
真由美:すごい方なのですが、とてもフランクで、緊張しない雰囲気を作ってくださったのだと思います。今も鮮明に覚えているのですが、「将来の夢は?」と言われ、「いつか私も起業したいです」と答えました。後で、「あれ、生意気なことを言ってしまった」と少し後悔しましたが、その日にスタッフの方からお電話があり、受かったと聞いてとても嬉しかったことを覚えています。
容子:オプラウィンフリーが若い頃、あるグループ面談で夢を言わなくてはならず、当時夢などなかったのに、マイクを持たされて、「多くの人に影響を与える人になり、大勢の人に勇気をあげたい」と言葉が出てきたと聞いた事があります。真由美さんも、急に聞かれて、無意識な夢が出てきた感じですか?
真由美:そうだと思います。具体的に考えていたわけではないのに、急に聞かれて、出てきた言葉でした。そのテンプスタッフで、現地法人の社長として16年間働くことになりました。意外とあっという間でしたね。私が就職した時は5人のスタッフだったのが、今では150人くらいになりました。
中国返還後、中国のビジネスが急激に増えた中国で広州支店を作り、2007年には現地法人を立ち上げました。日本の人材派遣会社としては初の外資系100%独自でパイオニア的存在になりました。その後、アメリカの会社とジョイントベンチャーを作ったり、そして日本での会社合併に伴って香港でも同じ流れになり、2011年から3つの会社合併の仕事に奔走しました。
2016年にこの大きな仕事も完了し、会社も落ち着いてきた頃、主人の社内転勤でアメリカへの移転の話が持ち上がり、その流れに乗り、現在のロサンゼルス近郊オレンジカウンティ、ディスニーランドの近くの街に引っ越してきました。