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”取り残される子供達が一人でも減るように” 栗山さやかさん(モザンビーク)

2021年5月29日

エチオピアのアジスアベバ

悲しい現実と自分の無力感

さやか:私が働いたのは、各国からのボランティアを受け入れている、主に路上にいた病気の女性達のための保護施設でした。運ばれてくるのはHIVの方が多かったですね。

事務局:ブログにもその時の様子がありますが、医者の数が圧倒的に足りない中で、さやかさんも看護師さながらに患者さんのお世話をされていましたよね。

腰がくの字に曲がったまま全く動かせず、一言も言葉を発しない女性患者さんを、さやかさんが明るく話しながらお世話されるエピソードがとても印象的です。

ある夜その方にいつものように「お休み」と声をかけたら、その女性がさやかさんの手を取ってゆっくりキスをしてくれた。さやかさんはそれがとても嬉しくて、その女性の頬に何度もキスをしたという微笑ましい光景がありますが、その女性はほどなくして亡くなってしまいます。この施設では毎日数人が亡くなってしまうんですよね。

ブログからは明るく優しく患者さん達と向き合う姿が浮かんでくるのですが、そこでの活動はさやかさんにとってどんなものでしたか?

さやか:毎日必死でした。悲しい現実の数々、自分の無力さもショックでした。それでも自分にできる小さな事をこなす日々でした。7か月ほどそこで寝泊まりしていたのですが、毎日、自分よりも若い女の子達が苦しんで息を引き取るのを目の前にして…。

どうしてこんな最後を迎えることになってしまったのだろう?この子達のそれまでの人生はどんなものだったんだろう?彼女達の生活についてもっと知りたいと思うようになりました。それで、ボランティアを受け入れてくれる孤児院や保護施設を回りながら、東南アフリカの旅を続けました。

エチオピア東部ディレダワのマーケットにて

事務局:旅を続けていたさやかさんですが、モザンビークの北部の地域で家を借りて住むことを決めますね。そこはどんな場所だったんですか?

さやか:モザンビークの首都から2000kmくらい離れていて、首都に住む人々から「世界の果て」と呼ばれていた地域です。周辺地域に比べて、とても貧しく殺伐としていて、それまで滞在していた東南アフリカの地域とは雰囲気が違う危険な地域だと感じました。

事務局:なんでまたそんな危険な地域に!さやかさんを引き留めるものはなんだったんでしょう?

さやか:本来その地域は通り抜ける予定だったのですが、乗る予定だった列車が来なくて1週間滞在したんですね。その間に町や人の様子を見るうちに、なぜこんなに生きていくことが厳しいんだろう?こんな状況にあるのはなんでだろう?もっとここにいて知りたいという思いました。

ちょうど現地のNPO団体に誘われたのもきっかけです。自分に残されている人生の時間を、困っている人の役に立つことがあれば少しの間でも使ってみようと思ったんです。

事務局:すごい決断ですね。強盗や殺人が日常的にある地域ですよね。ブログを読むたび冷や冷やしている読者は私以外にも多かったはずです。

次のページまずは各家を回って話をすることから始めた

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