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”取り残される子供達が一人でも減るように” 栗山さやかさん(モザンビーク)

2021年5月29日

アシャンテママ初期のころ

まずは各家を回って話をすることから始めた

事務局:その後、2009年にご自身で「アシャンテママ」という独自の協会を立ち上げましたね。

さやか:はい、有名な国際援助機関はありますが、現地の貧しい人々に援助が届く前にどこかで搾取されている等の現実も見聞きしていました。それならば、小さなことでも自分でできないかなと思いました。

ちょうど日本で応援してくださる方達が私のブログを携帯配信してくださって、その収益60万円と自分の貯金を合わせて活動資金にしてアシャンテママを立ち上げました。

事務局:最初にアシャンテママで始めたことは何ですか?

さやか:各家を回って貧しい暮らしをする女性を集めて勉強会を行うことでした。教育を受けていない女性が多く、本来救えるはずの命が救えていない状況にありました。マラリアも早めに発見できれば、3日間薬を服用すると通常は完治できるんですよね。

日本であればテレビ、ラジオ、ネットからそういった情報を簡単に得ることができますが、貧しい人々はテレビもラジオも持つ余裕がなくて、近所の噂話などが情報元だったりします。病院に行かずに黒魔術治療などを信じる人も多く、容体が悪化し手遅れになって亡くなってしまうこともあります。

事務局:それまで伝統ベースやってきた方達は、アシャンテママが伝える情報を受け入れてくれるのですか?

さやか:それは、本当にとても長い時間をかけてやってきましたね。私達も彼女達が信じているものを尊重したいですし、急に変えようと言われても難しいと思うので、「こんなオプションもあるよ」と選択肢の一つとして伝えるようにしてきました。

彼女達は基本的に自給自足の生活をしていて、畑を持っていない人達はまきを集めて売りに行ったり、家々を訪ねて「洗濯するのでお金や食べ物をください」という感じの暮らしです。女性は売春のような形でお金を稼ぐ場合もあります。

出稼ぎに行くにも大きな町までの交通費が必要ですし、都市に出ても仕事がある可能性は高くはないので、ある程度お金を持っている人や頼る親戚がいる人でないと厳しいという現実があります。

事務局:本当に厳しいですね。

さやか:「人が食べていくのはこんなに難しいんだな」と改めて感じました。アシャンテママの活動の一つとして「マイクロファイナンス(少額貸付)」も始めてみましたが、残念ながらうまくいかなかったです。経済活動の基盤がないとまだまだ難しいと感じました。

例えば、遠くの村で豆を仕入れてきて小分けにして売るという商売をしたとしても、泥棒に豆を奪われてしまったり、子供が病気になったりすると栄養のあるものを食べさせてあげたり、薬代が必要になる等出費がかさんだりして、商売継続ができないんですね。

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