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「シチリアの歴史と食」シリーズ最終回。そしてイタリア統一

2021年5月3日
桜田香織 (イタリア)

ノルマン人が持ち込んだシチリア人の大好物

フェニキア人から始まった「シチリアの歴史と食」のシリーズの最終回となります。

前回の流れはこちら。アラブ人の手によって政治的、文化的に花開いたシチリアの時代はそう長く続かず、ノルマン人の手に渡りました。

アラブ人同士の戦い、イスラム教はびこるシチリアをキリスト教が取り戻そうとして、ローマ法王の手助けがあったと言う理由によります。

ノルマン人というのは9世紀にフランスのノルマンディ地方に定着したバイキングの子孫です。

戦争に強い野蛮人、故郷を捨て、異言語、異人種と共に傭兵として生きてきた彼らは、宗教を含めた異文化に全くこだわりを持たず、イスラム教、ユダヤ教、ギリシャ正教を弾圧することなく穏やかな政治を進めたので、アラブ時代に引き続き繁栄を見せます。

ノルマン人は煙突の技術、ニシンやタラといった北の海の魚を塩漬け又は干物としてシチリアに持ち込み、魚の長期保存ができるようになりました。煙突のお陰で、煙まみれになること少なく肉や魚を調理することが可能になり、薫製技術が発展します。

特に薫製ニシンはシチリア人の大好物。レストランで出す所は少ないですが、冬野菜のフェンネルと組み合わせたサラダがあり、家庭ではよく食べられています。バッカラと呼ばれる塩漬けタラも人気商品で、私もよく購入します。

上の写真は、干しダラとジャガイモのトマトソース煮です。 シチリア島東部の町、メッシーナの郷土料理です。トマトソースたっぷりの一品。

アラブ人がコーランによって禁止していたアルコールも公に飲むことができたため、再びブドウ栽培にも力が入りましたし、豚肉も食され、揚げ物にラードが使用され始めます。

 

きらびやかな時代は終わり、安定が崩れていった時期

一つのサボテンから三色の実が採れる。このまま食べたり、リキュールやジャムに

歴史的な細かいところは割愛しますが、ノルマンの後、現在のドイツ(当時はまだドイツという国はなかった)から、フェデリコ2世が王位に着きます。

彼については塩野七生さんが「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」と言う本を出されていますね。

フェデリコ2世は狩猟を好んだため、野鳥やイノシシ、野うさぎなどが食され始め、アラブ人の好んだスパイスよりもハーブを多く使用し、フェンネルで味付けをしたサルシッチャ(生ソーセージ)やサラミ類の生産が増えました。

その後たった14年という短い間、フランス人統治がありました。フランス人は「食」に対して何も貢献していないのですが、その後のスペイン人統治で急速にフランス料理の影響が出ます。

スペインという国が生まれる前、地理的には現在のスペインに位置するアラゴン王国に統治され、スペイン建国後そのままシチリアはスペインの統治下となります。

コロンブスやエルナン・コンテスによるアメリカ大陸の発見によって、シチリアの食文化に新しい食材が持ち込まれました。カカオ、トウモロコシ、ジャガイモ、サボテン、七面鳥などが貴族の食卓を飾るようになるのです。

スポンジケーキが作られるようになったのもこの時期で、イタリア語でPan di Spagna(直訳するとスペインのパン)と呼ばれるのはその為だと言われています。

このスポンジケーキを使用して、シチリアのドルチェの代表作である「カッサータ」が生まれました。派手なデコレーションはもう少し近年になってから。

上:カッサータ、左:ブリオッシュ・コン・ジェラート、右:肉で野菜やチーズなどを巻いてオーブンで焼いた物

更に貴族達の間ではフランス人の宮廷料理人を雇う事が流行り、徐々にフランス料理に欠かせない生クリームやベシャメルソースなどが取り入れられるようになり、この時代からドルチェに生クリームを使うようになりました。

ジェラートにもたっぷりの生クリーム乗せて食べる人も多いですし、パスタのオーブン焼きにはベシャメルソースも入ります。肉で野菜などを巻き、オーブンで焼くという調理法も出てきました。

柔らかいパンにジェラートを挟み、生クリームをたっぷりのせた「ブリオッシュ・コン・ジェラート」はシチリア夏の定番。

 

ついにイタリアは統一へ

そして忘れてはいけないのが、トマトでしょう。今ではイタリア料理になくてはならない存在のトマト、最初は毒があると信じられていて、観賞用だったそうですよ。

実際いつ頃から食用になったのか、はっきりした文献を見つける事ができませんでした。

イタリア全土で食べられているトマトですが、南イタリアはその使用量が半端ではありません。もう本当に「トマトソースの海」と言う感じ。確かにシチリアのトマトは美味しいのですけどね。

しかしこのスペイン時代、残念なことにマイナス面もありました。

北ヨーロッパ貿易に力を注いだため地中海貿易がそれほど重要でなくなり、アメリカ産の砂糖と綿が安く輸入され始めたことで、それまでシチリアで大規模に行われていた農業に大打撃を与えました。

それは島の経済に直接響く結果となりました。貴族の派手な生活は続くのですが、水面下では徐々に陰りを見せていき、1860年にイタリアは統一されます。

長いシチリアの歴史を「食」から見ていくと、様々な民族が食材を持ち込んだ事がわかります。シチリアは違う文化を取り入れて、包み込んで、新しいものを作るという事が行われていました。

ある意味日本と似ていますね。フライドチキン、ハンバーグなど、日本の洋食と言われる物のほとんどが外から入ってきた物で、それを和風の味付けに変えたりしながら定着しましたから。

ところが現在のシチリア人、「マヨネーズは私達の伝統食とは関係ない」だとか、「若い子達がマクドナルドなどハンバーガーを食べるのは嘆かわしい」などという人が多い。

こういう発言を耳にするたび、「あなた達のご先祖様達は、もっとずっと心が柔軟だったよ。そのお陰で今あなた達の言う伝統食ができたんだよ」と、言いたくなる私がいます。だってその通りなんですからね。

今回で「シチリアの歴史と食」のシリーズは最終回となりますが、引き続きシチリアからコラムをお届けしていくのでお楽しみに。

「シチリアの歴史と食」のシリーズ: 1回目2回目3回目4回目、5回目(本コラム)

Written by 桜田香織(イタリア)

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