
みなさん、こんにちは。ブラジル担当のMariです。
本帰国を3日後に控えた3月2日、サンパウロ州は再び自粛レベルフェイズ1(赤・最大警戒)となりました。これから2週間、カフェもレストランも美容院も、すべてクローズです。
その上この日は、外務省から日本において新たな水際対策措置が決定された、というお知らせも来ていました。
ブラジル全土を含む13か国・地域(アラブ首長国連邦、ナイジェリア、他にイタリア、オランダなどヨーロッパの国々など)からのすべての入国者及び帰国者について、自宅等で待機する14日間に代えて、検疫所長の指定する宿泊施設に入り、入国後3日目に改めて検査、陰性と判定された人については宿泊施設を退所し、14日間の残りの期間を自宅等で待機する
当初、アマゾナス州のみ指定されていましたが、これにより、ブラジル全域が「新型コロナウイルス変異株流行国・地域」となったわけです。
実を言えば、「いつかはこうなる」という予感はしていました。が、サンパウロ州がフェイズ1(赤・最大警戒)に含まれるのは予想外でした。
東京の緊急事態宣言も延長となり、この状況で帰国するのはややこしいと思わざるを得ませんでした。
「いよいよ、面白い展開になってきましたよ」
ピンチの時に、私が心の中で呟くお決まりのフレーズです。

私のマスクコレクション
2020年パンデミックの騒ぎが本格化した頃、夫の駐在期間は5年目に突入しました。通常はそろそろ本帰国の話題が出る頃なのに、会社からは何の音沙汰もありませんでした。
それどころか、現地に数人の管理職のみを残し、他の社員と家族は一度日本へ避難帰国するように指示が出ました。
他社も家族連れは帰国し、ふと気付けば、私はほとんどの駐妻たちを見送る側にいました。「またね」と確信の持てない再会を誓いながら別れました。
9月にはアメリカへ異動のご家族が去り、遂に私はこの地区唯一の駐妻になりました。全盛期は25人もいたのに、みんなコロナに振り回されていることを痛感しました。
10月になると、避難帰国していた駐在員達が順番に戻って来ました。それでもブラジルの状況は改善してなかったので、家族は日本に残って様子を見る人がほとんどでした。
これを機に帯同を解消して単身赴任に切り替えた何人かに、ちゃんとさよなら言えなかったことが、悔やまれました。
年末が近づいても、基本的に在宅勤務の日々が続く中、やっと「春には帰れそう」と夫から告げられました。終わりの時を告げられ、気持ちがそわそわしました。
一時的にブラジルの状況が改善したように見え、年末年始のタイミングで数人の駐妻が戻って来ました。でも、ほんの数人。以前とは違います。
彼女達に、本帰国が決まったことを話した後も、旅行へ行ったり、特別なことができるわけでもなく、普通の日々を淡々と送利ながら、引き続きパンデミックの中で帰国準備が始まりました。

まずは、航空券の予約です。直行便がないので、どこかを経由します。これまで安定的に飛んでいたカタール航空(ドーハ経由)を予約しました。
航空会社毎に少しずつルールが異なるものの、予約のタイミングで、搭乗72時間以内のPCR検査が義務づけられていることを知りました。
日本へ入国するには、医師による署名および捺印、陰性結果が記載された英語/日本語のバイリンガル医療証明書と、日付と時刻の両方が記載された英語の検査結果が必要です。
原則として、検査証明は印刷して提出となっています。やむを得ず電子端末に表示する場合は写真で撮影したものではなく、医療機関等から電子メール等で送付された正式な証明書の添付ファイルである必要がある、などかなり細かいルールがあります。
日本領事館に問い合わせると、サンパウロ市内にある以下のPCR検査サービスを紹介してくれました。費用は、350レアル(6300円)程度です。
サンパウロ市内であれば、100レアル追加で自宅訪問もしてくれるようでしたが、私の住むカンピーナスは市内から100キロ離れているので無理とのことでした。
幸い、夫の会社が提携している別の機関が、自宅にて検査可能とわかり、そちらへ予約を入れました。
自宅近辺のクリニックでは「日本語の医療証明書」を依頼すると、倍の値段となると言われました。
サンパウロ近郊の方は、多少遠くて手間がかかっても、領事館が教えてくれたところが、一番確実なようです。
結果はだいたい当日か翌日には出るようなので、フライトスケジュールに合わせて、逆算して検査予約をして下さい。

サンパウロを出発する時の手続きは、いつもとあまり変わりませんでした。
チェックイン時に、検査証明書とカタール航空で必要とされる航空会社宛の誓約書を見せると写メを取られ、原本は返されました。
経由地のドーハでは、検疫に関する特別な手続きはありませんでした。その代わり機内に入ると、いつも渡される別送品申告書の他に、厚労相宛の申請書への記入を指示されました。
出発72時間前の陰性証明書の提出、入国後の行動について確認するものでした。細かいし大変そうです。
予定時刻より少しだけ早く成田に着きました。いよいよ検疫が始まります。
以下、時系列に手順を説明します。
17:40 成田空港に到着(機内待機なし)→
機内から出たところで整列→
検疫場所まで案内される→
過去2週間の滞在国別に振り分け→
対象となる人は健康相談室前で待機
18:00 健康カードに健康状態と過去2週間の滞在国を記入→
健康カード、バスポート、検査証明書を提出→
政府指定のホテル宿泊の判断、振り分け→
唾液による検査(痛さはないが、難しい)→
厚労省質問のQRコードを取得(LINEを活用した健康確認のため)
18:50 各自のQRコード登録手続き(航空会社乗り継ぎカウンター利用)→
検査結果待ち(国別に待機)
19:20 検査結果(健康カードバーコード番号で呼ばれる)→
結果カード(オレンジ/陰性)交付→
待機(ここからグループ行動、一旦集められて個別行動禁止)
19:50 入国審査、バゲージ、荷物検査(検疫の犬)
20:10 到着ロビーに出る(集合)→別送品の申告手続き(指示に従って個別)
20:30 ホテルへ向けてバス出発
21:30 ホテルに到着→
税関職員によるチェックイン手続き、滞在中の説明、お弁当貰う(家族単位で行動)
22:15 指定された部屋に入る→
入室後、各自でやること
①3日後の空港までのバスの予約
②初回の検温をし、健康観察チャット へ報告(QRコードあり)
③ココア(厚生労働省新型コロナウィルス接触確認アプリ取得
④位置情報設定(Googleマッブ)
⑤OSSMA(変異種がある特定国からの帰国者のみ)インストール
23:00頃 作業終了

サンパウロの空港。かなり人が少ない
・到着日を0日と数え、3日目まで滞在する
・3日間、部屋からは一切出てはいけない
・毎朝8時に検温し、健康観察チャットへ報告
・毎日11時に厚労省よりスマホに連絡、ココアにて回答
・食事は三食、部屋の外の椅子の上に置かれる
・館内放送(日本語•英語)に従い、行動したり扉を開けること
・禁酒
・3日目の朝一番でに再検査(結果は午後)
・帰りのバスは3日目の午後4時または6時
・空港から自宅などへの移動は、公共交通機関は使えない
・大人数のスタッフが配置されている。
・慣れていないスタッフも多く、指示が曖昧。
・外国人への対応は、時間がかかる。
・スマホで厚労省の質問に答えて各自のQRコード取得する際、項目が多く少し複雑。
・慣れていない人、高齢者、外国人にはハードル高いと感じた。
・アプリは家族なら同行者として登録可能。
・スマホがない人は、メルアドでの登録も可能。
・いずれもない人は、誓約書に記入した電話番号に担当地域の保健所より連絡が入る
・一連の手続きのための移動距離が長く、歩く。

部屋に入ってから3日間、部屋からは一切出てはいけないので、正直、1日でもう飽きてしまいました。
それでも、こんなに空港に近いのに、滅多に飛行機の音はしません。それだけフライト数は減っているのでしょう。
お弁当は毎日3回支給されます。なかなか豪華なお弁当ですが、私にはちょっとガッツリ系過ぎて、感謝はしているけど、ご飯もおかずも冷たくて、徐々に食欲を失っていきます。
部屋に湯沸かしポットくらいはあると予想して、ティーバッグやインスタントコーヒーを持って来たのは、我ながら大正解でした。
ブラジルから戻った私には日本の寒さが身にしみ、温かいものを口にせずにはいられませんでした。
空港を降りてからは、自由行動が許されていません。買い出しなどはできないと考えた方が良いでしょう。お子さん連れの方は、チョコレートとかクッキーとか持ってると良いかもしれませんね。
羽田を利用した人からの情報によると、差し入れやデリバリーを利用した場合、配達日翌日部屋に届けられるので、食事は現実的ではないです。アルコール禁止のため、本人立ち会いのもと中身がチェックされるそうです。
3日目の朝、朝食前に再検査をしました。早朝にドア前にキットが届けられ、自室で唾液を採取しました。
午後2時頃、内線で結果は知らされました。まさかと思っていても、「大丈夫」と知らされると「やっと解放される!」と気持ちが軽くなりました。

ブラジルの友達からのプレゼント
その後、登録した携帯に厚生労働省から電話が入りました。ココアへの登録内容の確認と、出所後も残りの日数は必ず健康確認に答えること、と指示されました。
16時の出発に向け、部屋を出ますが、指示があってから動き出さねばなりません。
この日は100名を超える人が同じ時刻に移動したらしく、ここが一番手こずっていたようで、私たちが案内を受けたの時は既に16:40でした。
受付で鍵と体温計を返却すると、誓約書のコピーを渡されました。来た時は防護体勢のバスでしたが、今度は普通のバスで空港まで移動です。希望のターミナルで降車できます。
公共交通機関は使えませんので、予約してあった車を待って、都内の自宅へ向かいました。
翌日からは、ココアのアプリで健康確認の日々が続きます。帰国してもホッとするのは、まだまだ先になりそうです。
さて、最後の最後に思わぬ体験をしてしまった私のブラジル生活は、これにて終わります。
後ろ髪を引かれるような思いもあります。時間の長さより、中身の濃さを感じ、そこには確かに大切なものがあったと、もうすでにブラジルが恋しくなっています。
大好きなブラジルは、コロナによる死者が後絶ちません。悲しいことです。
でもいつの日か、必ずまた戻りたい場所です。世界中を自由に行き来できる時が来たら、必ず行きます。
私のコラム「Bom Brasil 素敵なブラジル」も最終回となります。新しいブラジル担当者にバトンタッチします。
私は引き続き、別のテーマで皆様にお会いしたいと思います。
ここまで読んで下さって、有り難うございました。心より感謝します。Muito obrigada!!!

元気が出るカンピーナスの建物
Written by 岩井真理(ブラジル)