皆さん、こんにちは。ブラジルサンパウロ州に住むMari です。
こちら「世界ウーマン」も、この8月で2周年となります。記念イベントを予定してるので、とてもワクワクします。
偶然にも、私が本格的にブラジルに住み始めたのも同時期でした。しみじみと浅からぬご縁を感じ、私自身の2年間を振り返ってみようと思います。
私がここにいる理由は、夫の海外駐在に帯同している「駐妻」だからです。
私だけでなく、昨今は妻も仕事を持っている人が多いので、夫の転勤に伴い、自分のキャリアを中断したり、諦めざるを得ない現実に突き当たります。
私には、3つの選択肢がありました。
①日本で働き続け、夫は単身赴任
②休職制度を使って帯同し、数年後復職
③スッパリと会社を辞めて帯同し、別のことをする
コーヒー農園で有名な東山農場
当時勤めていた会社には20年超いたし、少しは責任ある仕事だったので、簡単には決められず、長い時間をかけて考えて、結局、③を選びました。
そして、腹をくくり覚悟もしました。仕事、無くなるんだ〜って。
基本的に扶養家族にならないとビザの申請ができないので、退職してもすぐに渡伯出来るわけではありません。一旦フリーのキャリアコンサルタントとして働きながら、渡航準備をしました。
両方の親のこと、留守宅をどうするか、渡航オリエンテーション、健康診断、予防接種等を仕事の合間にこなし、出発前々日まで働いて、やっとブラジルにたどり着い時、夫の赴任から遅れる事2年の月日が経っていました。
陶器の街 モンテシアン
到着後1週間以上たっても、私は誰とも知り合う気配がありませんでした。
仕事もないし、人間関係も一からですから、いくら楽天的な私といえど多少不安になってきます。夫に問いかけても「そのうち知り合うんじゃない。」と他人事でした。
やっと何とか同僚の奥様一人の連絡先を訊いてもらい、自分から連絡しました。
そのあとは数珠つなぎに広がり、働いていた頃の仲間とはまた違う、主婦同士のお付き合いが始まりました。
駐在生活では駐妻情報網は誠に有益です。これの有る無しで現地での生活は大きく変わるでしょう。
しかし3ヶ月ほど経ち生活にも慣れると、改めてする事がない事に気付きました。駐妻に会うか、週2でポルトガル語の教室へ通う以外、私には行く所が有りません。
そのうち、自分は何も産み出していない、無価値な人間に思えてきました。
ブラジルへ出発の日、空港にて撮影
(次ページへつづく)
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