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まさか私がアイデンティティクライシスを経験。駐妻帯同生活3年目に入る今思うこと

2020年8月8日
岩井真理 (ブラジル)

20年以上いた会社を辞め、ブラジル駐在する夫に帯同

皆さん、こんにちは。ブラジルサンパウロ州に住むMari です。

こちら「世界ウーマン」も、この8月で2周年となります。記念イベントを予定してるので、とてもワクワクします。

偶然にも、私が本格的にブラジルに住み始めたのも同時期でした。しみじみと浅からぬご縁を感じ、私自身の2年間を振り返ってみようと思います。

私がここにいる理由は、夫の海外駐在に帯同している「駐妻」だからです。

私だけでなく、昨今は妻も仕事を持っている人が多いので、夫の転勤に伴い、自分のキャリアを中断したり、諦めざるを得ない現実に突き当たります。

私には、3つの選択肢がありました。

①日本で働き続け、夫は単身赴任

②休職制度を使って帯同し、数年後復職

③スッパリと会社を辞めて帯同し、別のことをする

コーヒー農園で有名な東山農場

当時勤めていた会社には20年超いたし、少しは責任ある仕事だったので、簡単には決められず、長い時間をかけて考えて、結局、③を選びました。

そして、腹をくくり覚悟もしました。仕事、無くなるんだ〜って。

基本的に扶養家族にならないとビザの申請ができないので、退職してもすぐに渡伯出来るわけではありません。一旦フリーのキャリアコンサルタントとして働きながら、渡航準備をしました。

両方の親のこと、留守宅をどうするか、渡航オリエンテーション、健康診断、予防接種等を仕事の合間にこなし、出発前々日まで働いて、やっとブラジルにたどり着い時、夫の赴任から遅れる事2年の月日が経っていました。

 

何も産み出していない、無価値な人間に感じる日々‥

陶器の街 モンテシアン

到着後1週間以上たっても、私は誰とも知り合う気配がありませんでした。

仕事もないし、人間関係も一からですから、いくら楽天的な私といえど多少不安になってきます。夫に問いかけても「そのうち知り合うんじゃない。」と他人事でした。

やっと何とか同僚の奥様一人の連絡先を訊いてもらい、自分から連絡しました。

そのあとは数珠つなぎに広がり、働いていた頃の仲間とはまた違う、主婦同士のお付き合いが始まりました。

駐在生活では駐妻情報網は誠に有益です。これの有る無しで現地での生活は大きく変わるでしょう。

しかし3ヶ月ほど経ち生活にも慣れると、改めてする事がない事に気付きました。駐妻に会うか、週2でポルトガル語の教室へ通う以外、私には行く所が有りません。

そのうち、自分は何も産み出していない、無価値な人間に思えてきました。

ブラジルへ出発の日、空港にて撮影

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(次ページへつづく)

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