半年の語学留学目的でオーストラリアに渡って来てから、今年で早16年が過ぎた。
日本でクタクタになった心と共に「語学留学生」としてスタートを切ったあの頃、異国の地、西オーストラリア州、パースで眩しすぎるほどの青空と、息をのむほどに青く煌めくインド洋を眺めながら、私の心がどんどん元気になっていく感覚を強く感じていた。
この土地に住み始めて以来、数え切れないほどの人たちに出会い、どれほどのパワーをおすそ分けしてもらったことか。
私にとってオーストラリアに生活の場を移した事は、今まで封印していた「初めて」が詰まった大きな箱を開けてひっくり返したようなものだった。
生まれて初めてのオーストラリア生活、生まれて初めてのホームステイ、生まれて初めて多国籍の人々と寝食を共にし、「英語」という言語を共に学んだ。
何よりも大きな「初めて」は、このオーストラリアという異国の土地で、「ペアレンツ」と呼べる人達に巡り会ったこと。自分を産んで育ててくれた両親以外に、「親」と呼べる人達が私の人生に現れたこと。
しかも、彼らは日本人ではなくてイギリス人、習慣や文化は全く違うし、言葉さえ通じない。でも、そんな彼らの存在が、私の心に「忘れていた強さ」をよみがえらせてくれた。
日本語が通じない国で、本当につたない英語力しかなかった私は、ホームステイ先のホストマザーにくっついてばかりいた。あとひと押しで40歳になろうとしていた大の大人のオンナが、まるで母親のスカートの裾を掴んで離さない子供のように。
そんな私を鬱陶しがることなく、いつも優しい笑顔で受け入れてくれたホストマザー、イレイン。彼女は晩御飯の支度をしながら、いつもたくさんの単語やフレーズ、発音や英文法を教えてくれた。
英語教師の資格を持ち、おまけに人に教えるのが大好きとあって、イレインは私のホームステイ先で太陽みたいな存在だった。
そして、イレインのパートナー、私のホストファーザーのカイ。カイはイレインとは真逆の性格。頑固で気が短くて、そして辛辣。
カイが仕事で疲れている時に、おかしな発音で話しかけようものなら、「何言ってるのかさっぱりわかんないんだよ!」と一刀両断される。この辛辣さに1度か2度、カイの首を締めてやりたい衝動にかられた事も今となっては笑い話。
でも、レクチャー好きな彼は、発音にダメ出しをしながらも、熱心に教えてくれた。ジョークが大好きで、よく晩御飯の食卓で私達留学生を笑わせようとしてくれた。
私達、語学留学生の英語力でも理解できるようなジョークを飛ばしてくれていたことから、彼の心の暖かさがうかがえる。
そんな暖かな巣で育てられた私は、彼らの元から巣立ってもなお、オーストラリアに留まることに決めた。彼らからもらったものを大切にしていれば絶対にやっていける気がした。
私にとってカイとイレインは、紛れもなく私の「親」。このオーストラリアで生きていくための基礎を教えてくれた。
たとえ血が繋がっていなくても、年齢が「親」というには近すぎるとしても、この国で私に言葉を教えてくれた上、異国で生きていく強さを教えてくれた人達。
イギリスからの移民の彼らが「ホストペアレンツ」として私の人生に来てくれた事は偶然ではない気がする。
残念ながら数年前に離婚してしまった2人。現在イレインは母国のイギリスで幸せに暮らしており、カイは新しいパートナーとパースに住んでいる。
カイとイレインとは今でも変わらず交流しているが、カイの現在のイギリス人パートナーの方とも、2年ほど前から仲良くさせてもらうようになり、なんだかオーストラリアでのお母さんがまた一人増えたような嬉しい気分。
でも、ここで忘れてはならないのが、私にこんな素晴らしい経験をさせてくれた私の両親。特に、一人っ子の私を、父の亡き後にオーストラリアに「単独永住目的」で飛び立たせてくれた母。
泣きわめいて私を罵倒しながらも、最後は私を信じてくれた母の底知れない強さに感謝している。
日本にいた頃は親を毛嫌いすることはあれど、感謝することなどなかった私だったが、この国でたくさんの経験をし、たくさんの感情を味わうことで、ようやく「親」という光の存在に気付くことができた。
この光たちは、私の魂の中で決して消えることなく煌めき続けるのだろう。
Written by 野林薫(オーストラリア)