
フランクフルトで見る美しい桜。なんと8年目の春です
こんにちは、スイスに8年、ドイツも8年目。会社員をしながら愛する家族とヨーロッパを旅するように暮らす、Towamiです。
今回のコラムは、私がどうやって今の生き方に辿り着いたのかを、自分自身の記録として、そして「もし同じような人生を望んでいる人がいたら、何かヒントになれば」という思いで綴っているストーリーの2回目です。
前回コラム「私の海外移住の原点。ヨーロッパで生きる私の選択と気づき」では、高校3年生の時の体験が現在の生活につながるすべての始まりであったことを書きました。
華やかな成功談でも、特別な才能の話でもありません。迷って、悩んで、立ち止まりながら、それでも「こう生きたい」という気持ちを手放さずに進んできた、とても個人的な人生の記録です。
誰かの勇気の種になったら、嬉しいです。

今年1月に訪れて「カンヌみたい」と思った、ドバイマリーナのビーチ
さて、大学を卒業する頃の私は、正直に言って何も分かっていませんでした。
自分が何をしたいのか。どんな仕事がしたくて、どんなことをするのが好きで、どう生きていきたいのか。
「海外で働きたい」「グローバルな環境で生きたい」。
そんなぼんやりした憧れだけはありましたが、それをどう実現するのか、まったく分からないまま就職活動に突入しました。
本当は、外資金融、商社、海外展開している大手メーカーなど、「世界と関われそうな場所」で働きたいと思っていました。
しかし、就活の現実はまったく甘くありませんでした。
自分のことが分かっていない私に、内定はほとんど出ませんでした。
「ここは受かるかな?」と思った会社から何度も不採用の通知を受け取り、精神的にもかなり不安定でした。
今振り返れば、あの頃もかなり鬱に近い状態だったと思います。
最終的に手元に残った内定は、わずか数社です。証券会社、大手インターネット会社、小さな化粧品会社、そして、夏にインターンをしていた大手IT会社(文系にもかかわらずエンジニア枠)。
結局、私は消去法で今の証券会社を選びました。証券会社が何をしているかも知りませんでした。

1年に1回の帰国で訪れた沖縄の美しい海
社会人生活の最初は、想像以上に過酷でした。朝6時には出勤する毎日。
私は朝型だったので、まだよかったのですが、夜はすぐに寝る必要があり、平日にまったく予定を入れられませんでした。
入社してすぐ、何も分からないまま「今すぐとにかくお客様に電話して」と言われ、何を話せばいいのか分からないまま、とにかく電話をかけ続ける日々です。
時には露骨に嫌な態度を取るお客様に、心を折られることもありました。
それでも必死で食らいつき、ようやく仕事が楽しくなってきた3年目の終わり、転機が訪れます。
実はその前年、私は「あまりにも海外に行けそうにない現実」に絶望していました。
そんな時、当時仲良くしていただいていたお客様の一人に「私も行くので、Towamiさんも行ってみたら面白いと思いますよ」とお誘いを受け、「東南アジア青年の船」に応募することにしました。
志望書を書き面接に進み、無事合格を手に入れました。
「行こう」と本気で思っていたので、会社を休職できないか当時の役員に直接相談しました。
今思えば、かなり無茶なお願いです。当時は1か月半の休職すら難しい時代でした。
ずっと悩んだ末、大好きだった都心の会社寮と便利な暮らしを手放してまで、3か月の船の旅に出る決断ができず、私は締切前日にその機会を諦めました。

駐在生活を送ることになるジュネーブ
しかし、その時、私は自分の「海外で生きたい」という想いを、はっきりと周囲に見せていたのだと思います。
役員にまで相談し、恥も外聞もなく夢を口にし、「私はこうしたい」と主張していました。
だからこそ、その翌年、偶然空いたジュネーブ支店の駐在員のポジションに、私の名前を挙げていただけたのだと思います。
夢は、諦めずに口に出し続けると、いつか誰かが叶えてくれるかもしれません!
次回は、私の人生が本当に動き始めた「ジュネーブの物語」を書きます。
私がどんな選択を重ねて今の生き方に辿り着いたのか、その思考と感情のプロセスを綴っていきたいと思っています。
私のメルマガでは、こうした人生設計の話に加えて、
・ヨーロッパで実際に使ってきた語学学習法
・多言語を仕事と人生にどう結びつけてきたか
・海外で働きながら暮らしを整える考え方
・日々の小さな選択と気づき
などを、よりリアルに、お役立ちテクニックも含めて書いています。ブログよりも少し近い距離で、実験的で正直な思考を共有しています。
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最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
Written by Towami(ドイツ)