ジュネーブの大好きな公園、よくピクニックをしたParc de la Grange
ここまで、フルタイムで働きながらスイスのジュネーブで受講したExecutive MBAについて、①と②で書いてきました。今回はその続きです。
卒業論文は任意で3, 4人の小さなグループを組み、テーマを決めて、それに関する論文をグループで書きました。
私たちのテーマは、コモディティトレーディング業界のデジタル化についてでした。たまたまメンバーの1人が世界トップ3に入るコモディティトレーディングの大手企業で働いていたためです。
実際に現物コモディティ取引に関わる人たちにインタビューをして、それを書き起こしてニーズを探ったり、締め切り前には仲間で毎週末夜遅くまで一緒に作業をしたりしていました。
時間をたくさん取られて大変でしたが、グループみんなで作り上げた、とても良い思い出になりました。
このメンバーとは論文終了を祝って皆でメンバーの1人の出身地、スペインのセビーリャに旅行に行ったり、卒業後もイースター休暇にイタリアにみんなでバンを借りて一緒に行ったり、たくさんの楽しい思い出を作ることができました。
前回も書きましたが、私がドイツに引っ越して5年以上経った今も定期的に連絡をとって会える、深い関係を築けたことは生涯の宝物の一つになったと思っています。
毎年迫力のあるレマン湖から打ち上がる夏の花火
授業の課題でグループワークがたくさんあり、授業の度に違うメンバーとグループを振り分けられて取り組むので、チームメンバーの中に全然作業をやらない人がいたり、意見の食い違いがあって対立したり、ということは度々ありました。
特にみんながフルタイムで働いていて、30代前半の働き盛りだったため、出張や残業続きで課題に取り組めない人が出てきたりということはよくありました。
ただ、みんな大人なのでそれで大きく腹を立てることもなく、ある課題では貢献できなくても別の課題では大きく貢献したりなど、終わってみれば私の周りは大きな問題もなく終わったように思います。
また、MBA期間中にご家族の体調が悪化し、1つのモジュールで休講できる最大限の講義数を越えて休みが続いてしまい、すべてのモジュールを私たちと同時に終わらせられず、卒業が翌年になりそうな同僚がいました。
ですが、逃したモジュールが幸い8月にスタートする次の期の最初にあったので、そこで再受講して課題を提出し、その年の11月の卒業式に間に合いました。
他にも1年目のある授業の修了課題や試験をパスできず、翌年に再受講になった人もいましたが、再受講でようやくパスしていました。
結局、ドロップアウトする人が出ず、全員無事卒業できました。家庭と仕事との両立で皆大変だったと思いますが、「やればみんなできる」ということが証明されたと思います。
ジュネーブで食べた中で一番美味しいと思うレストランLes Armuresのチーズフォンデュ
当時は若くエネルギーもあり、子供もいなかったので、仕事、MBA、友達とのお出かけと精力的に取り組めていました。
ある授業では、1週間の香港出張から帰る飛行機の中で寝ずに課題を終わらせ、到着してそのまま大学の授業に直行するなどということもありました。
大変ではありましたが、今の夫や友人、当時の上司のサポートで乗り切ることができました。
ただ、今の自分が同じ生活を送れと言われたら、疲れ、焦り、不安などでパンクしそうになっていたと思います。もし、今の私が同じことをしたいと思ったら、少し工夫を加えると思います。
何か新しいアクティビティを足したい時は、着実に何か日常のアクティビティを「減らす」ことが大事だと今は思います。
やめることは、積極的に「やめたい」ことに限りません。「やらなくても良いならラッキー」「そこまで嫌じゃないけど」と思う程度のことは、できるだけ進んで止めていけるようにして、余白を作ってから新しいことを始めるのが本当に大事だと身に染みて感じます。
年を取るごとに、毎日の心の余裕が大切になってきていると痛感します。そして、心の余裕のためには、毎日の生活の中でどれだけ時間的に、また精神的に余白を作れるかが肝になります。
Written by Towami(ドイツ)