
今回の世界ウーマンインタビューは、栗山さやかさん。
さやかさんは、アフリカのモザンビーク共和国北部、マラウイ共和国南部で主に親を亡くしてしまった子供たちをサポートするNPO法人「アシャンテママ」を2009年から運営しています。
もともとは渋谷109で働くバリバリのギャルだったさやかさんは、25歳でバックパッカーとなり、約60か国をめぐったのちに東南アフリカのモザンビークに居を構え、NPO法人活動を開始。モザンビーク国立医療技術学校で学び、医療技術師国家資格を取得しました。
2014年に安倍首相のアフリカ外交時のスピーチにも登場し、2016年には日本財団賞を受賞。
世界ウーマン読者の皆さんにも是非知っていただきたい社会活動家のお一人です!
事務局:さやかさん、本日はお会いできて嬉しいです。実は私、さやかさんが書かれているブログ「プラ子旅する~まだアフリカです~」の読者でして、私が知る世界とかけ離れた危険な場所で日本人たった一人、しかも女性で活動されているということに、ただただ凄いなぁと感嘆していたんです。
さやか:こちらこそインタビューの機会をありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
事務局:早速、さやかさんが海外に出ることになったきっかけからお聞かせください。
さやか:私が24歳の時に子供の頃からの親友が乳がんで亡くなってしまったことが大きかったと思います。彼女が亡くなってから人は何のために生きるのか分からなくなりました。人生ってなんだろうって考えるようになって。
それまでは渋谷109で働くギャルでファッション雑誌ばかり読んでいたのですが、いろんな本を読むようになり、坂之上洋子さんの海外生活に関して書かれたエッセイを読んだのがきっかけで海外に目が向くようになりました。

2006年シリア北部アレッポを訪れた時
それまでも海外旅行をしたことはありましたが、今までとは違う世界を見たいと思いました。特に発展途上国の人達がどんな生活をしているのだろうと。
それまで貯金をしていて学費の返済に充てよう考えていたのですが、母が「自分で貯めたお金なんだから自分の為に使いなさい」と言ってくれて、そのお金でバックパッカーとして世界を回ろうと決意しました。
事務局:最初からアフリカに行こうと予定していたんですか?
さやか:アフリカだけは行くまいと思っていました(笑)、さすがに危険だろうなと思って。
事務局:そうだったんですか!それが、どうしてアフリカに行くことになったんですか?
さやか:旅する中で、貧しいと言われている国で現地の人達にずいぶん助けてもらいました。見ず知らずの人達が食べ物を分けてくれたり、道を案内してくれたり、現地通貨がなくてバスに乗れずに困っていたらバス代を出してくれたり。そのうちに「どこかで恩返しをしたい」という思いが出てきていました。
バックパッカー達って安宿で情報交換するんですが、アフリカ大陸を回って来たバックパッカーからアフリカの現状はやっぱり大変だという話を聞きました。
それで私でも何か出来ることがあるかな、少しでも誰かの助けになれるかなという思いでアフリカに渡りました。特に急いで日本に帰る予定もなかったですし。
事務局:それでエチオピア、アディスアベバの医療施設でボランティア活動を始められたんですね。

エチオピアのアジスアベバ
さやか:私が働いたのは、各国からのボランティアを受け入れている、主に路上にいた病気の女性達のための保護施設でした。運ばれてくるのはHIVの方が多かったですね。
事務局:ブログにもその時の様子がありますが、医者の数が圧倒的に足りない中で、さやかさんも看護師さながらに患者さんのお世話をされていましたよね。
腰がくの字に曲がったまま全く動かせず、一言も言葉を発しない女性患者さんを、さやかさんが明るく話しながらお世話されるエピソードがとても印象的です。
ある夜その方にいつものように「お休み」と声をかけたら、その女性がさやかさんの手を取ってゆっくりキスをしてくれた。さやかさんはそれがとても嬉しくて、その女性の頬に何度もキスをしたという微笑ましい光景がありますが、その女性はほどなくして亡くなってしまいます。この施設では毎日数人が亡くなってしまうんですよね。
ブログからは明るく優しく患者さん達と向き合う姿が浮かんでくるのですが、そこでの活動はさやかさんにとってどんなものでしたか?
さやか:毎日必死でした。悲しい現実の数々、自分の無力さもショックでした。それでも自分にできる小さな事をこなす日々でした。7か月ほどそこで寝泊まりしていたのですが、毎日、自分よりも若い女の子達が苦しんで息を引き取るのを目の前にして…。
どうしてこんな最後を迎えることになってしまったのだろう?この子達のそれまでの人生はどんなものだったんだろう?彼女達の生活についてもっと知りたいと思うようになりました。それで、ボランティアを受け入れてくれる孤児院や保護施設を回りながら、東南アフリカの旅を続けました。

エチオピア東部ディレダワのマーケットにて
事務局:旅を続けていたさやかさんですが、モザンビークの北部の地域で家を借りて住むことを決めますね。そこはどんな場所だったんですか?
さやか:モザンビークの首都から2000kmくらい離れていて、首都に住む人々から「世界の果て」と呼ばれていた地域です。周辺地域に比べて、とても貧しく殺伐としていて、それまで滞在していた東南アフリカの地域とは雰囲気が違う危険な地域だと感じました。
事務局:なんでまたそんな危険な地域に!さやかさんを引き留めるものはなんだったんでしょう?
さやか:本来その地域は通り抜ける予定だったのですが、乗る予定だった列車が来なくて1週間滞在したんですね。その間に町や人の様子を見るうちに、なぜこんなに生きていくことが厳しいんだろう?こんな状況にあるのはなんでだろう?もっとここにいて知りたいという思いました。
ちょうど現地のNPO団体に誘われたのもきっかけです。自分に残されている人生の時間を、困っている人の役に立つことがあれば少しの間でも使ってみようと思ったんです。
事務局:すごい決断ですね。強盗や殺人が日常的にある地域ですよね。ブログを読むたび冷や冷やしている読者は私以外にも多かったはずです。

アシャンテママ初期のころ
事務局:その後、2009年にご自身で「アシャンテママ」という独自の協会を立ち上げましたね。
さやか:はい、有名な国際援助機関はありますが、現地の貧しい人々に援助が届く前にどこかで搾取されている等の現実も見聞きしていました。それならば、小さなことでも自分でできないかなと思いました。
ちょうど日本で応援してくださる方達が私のブログを携帯配信してくださって、その収益60万円と自分の貯金を合わせて活動資金にしてアシャンテママを立ち上げました。
事務局:最初にアシャンテママで始めたことは何ですか?
さやか:各家を回って貧しい暮らしをする女性を集めて勉強会を行うことでした。教育を受けていない女性が多く、本来救えるはずの命が救えていない状況にありました。マラリアも早めに発見できれば、3日間薬を服用すると通常は完治できるんですよね。
日本であればテレビ、ラジオ、ネットからそういった情報を簡単に得ることができますが、貧しい人々はテレビもラジオも持つ余裕がなくて、近所の噂話などが情報元だったりします。病院に行かずに黒魔術治療などを信じる人も多く、容体が悪化し手遅れになって亡くなってしまうこともあります。
事務局:それまで伝統ベースやってきた方達は、アシャンテママが伝える情報を受け入れてくれるのですか?
さやか:それは、本当にとても長い時間をかけてやってきましたね。私達も彼女達が信じているものを尊重したいですし、急に変えようと言われても難しいと思うので、「こんなオプションもあるよ」と選択肢の一つとして伝えるようにしてきました。
彼女達は基本的に自給自足の生活をしていて、畑を持っていない人達はまきを集めて売りに行ったり、家々を訪ねて「洗濯するのでお金や食べ物をください」という感じの暮らしです。女性は売春のような形でお金を稼ぐ場合もあります。
出稼ぎに行くにも大きな町までの交通費が必要ですし、都市に出ても仕事がある可能性は高くはないので、ある程度お金を持っている人や頼る親戚がいる人でないと厳しいという現実があります。
事務局:本当に厳しいですね。
さやか:「人が食べていくのはこんなに難しいんだな」と改めて感じました。アシャンテママの活動の一つとして「マイクロファイナンス(少額貸付)」も始めてみましたが、残念ながらうまくいかなかったです。経済活動の基盤がないとまだまだ難しいと感じました。
例えば、遠くの村で豆を仕入れてきて小分けにして売るという商売をしたとしても、泥棒に豆を奪われてしまったり、子供が病気になったりすると栄養のあるものを食べさせてあげたり、薬代が必要になる等出費がかさんだりして、商売継続ができないんですね。

アシャンテママに通う子供たち
事務局:子供たちへの教育活動はいつから始めたんですか?
さやか:女性達の勉強会を開いた時に子供も一緒について来て、学校に行っていない子供達も多いということも分かり、すぐに子供たちへの教育も始めようとなりました。
事務局:アシャンテママが運営する学校では、子供たちにプレミオという支給制度がありますよね。休まずに学校に通った子達(現在コロナ禍ではプリントを頑張った子達)にお米、石鹸、文房具などがご褒美としてもらえるという、子供たちが楽しく学校に通えそうな工夫ですね。
さやか:学校に行くより家の仕事を手伝うように言われる家庭も多いですから。何かもらえるものがあるというのは学校に通うきっかけにもなります。
事務局:子供たちへの教育面で、大事にしていることはありますか?
さやか:一番は命を落とす子を一人でも減らしたいので、HIVに感染している子たちや、体調を崩しやすい子供達には、栄養のある食べ物のサポートや、薬を飲むこと、病院に行くことの大切さを伝えています。
次に読み書きです。家族を支えるためにまき探しや水汲みで忙しく、また奥地にこもって長期間畑を耕さないといけない子供達は学校に行くまとまった時間が取れません。政府の学校に途中から行こうと思っても受け入れてもらえないんですよね。
学校で勉強する機会を得るまでは、読み書きだけでも教えることができればと思っています。今後周囲が発展していく中で、取り残されていく子供たちが一人でも減ってくれればと願っています。

厳しい環境でも子供達の笑顔は明るい
そして、子供達に助け合う気持ちを持ってほしいです。「大人になって困っている子供達がいたら手を差し伸べてあげてね。今支援してくれている人がいるように、大きくなったらみんなが助けてあげてね。世界が少しでも良くなるように」といつも話をしています。
「貧困は家族でさえ敵にする」と現地の人々から言われた言葉が心に残っています。でも、読み書きができて、教育を受ける機会があって、資格を取り、職に就くことができれば、命を守り、貧困から抜け出す一つの方法になると願っています。
事務局:本当に素晴らしい活動をされています。子供達にとって、それは一つの希望となるのではないでしょうか。スーパーウーマンですよ、さやかさんは。
さやか:そんなことないですよ。落ち込んでばかりです。
事務局:その点は是非聞きたいと思っていました。活動を継続するだけでも大変なことなのに、輪をかけて地域的に大変じゃないですか。泥棒に入られる、せっかく作ったものが壊される、警察は信用できないという状況が度々起こりますよね。そんな厳しい状況をどう乗り越えてきたんですか?
さやか:安全がない日々ということでいえば、私だけじゃなくてこの地域みんなが同じなので、そういう日々が当たり前になっていたと思います。何か起こった時にはもっと最悪なパターンを想像して、これくらいで済んで良かったと思うようにしています。
あとは、その時々に現地にいた外国人の宣教師や友人たちと話をすることで不安や心細い思いを解消していましたね。私が持っている悩みは現地の人たちに比べたら贅沢な悩みだなといつも感じていました。
事務局:すっかり現地に馴染んでいるというか、度胸が据わっているというか。
さやか:でも今は家族ができて葛藤があるのが正直なところです。

さやかさんの著書。現地での活動の様子やさやかさんの素直な気持ちが詰まった本
事務局:それは当然だと思いますよ。とはいえ、その後もモザンビークやマラウィに行き来されているんですよね。
さやか:はい、家族の理解を得て2019年は半年間、去年は1か月間、一人で行ってきました。それ以外の期間は遠隔で、現地のスタッフ達とやり取りしています。
現在アシャンテママは、モザンビーク北部、その隣国のマラウィ南部の2か国4か所で合計820名ほどの子供達への教育支援を行っています。今年からはモザンビークにある難民キャンプでコンゴ民主共和国などからの難民の両親を亡くした子供達への食料支援も行っています。
難民の子供たちへの支援は今年始めたばかりなので、私自身勉強しながら少しづつ進めています。アシャンテママの活動も継続できていますが、もっといい方法があるのではないか、今何をしたら一番いいのか、といつも模索しています。
当初は現地でお金を生み出して現地の子供達のサポートができるシステムを作りたかったのですが、全て失敗に終わってしまいました。現在もご寄付のおかげで活動を続けさせていただくことができています。活動が続けられているだけでもとてもありがたい事です。
「いただいたご支援をいかに困っている子供たちの本当にためになるように使わせていただくか」「どういった形が厳しい環境に暮らす子供たちにとって最適なのか」を考え続けて、気付いたら12年近く活動を続けさせていただくことができました。
事務局:さやかさんのその姿勢はブログからよく伝わっています。活動内容や子供達の様子がよく分かりますし、寄付している方達もアシャンテママの一員として、子供達のサポートに貢献しているという実感があると思います。最後に、世界ウーマンの読者へ向けて一言いただけませんか。
さやか:世界情勢、仕事環境、家庭環境なども刻々と変わり、大変なことも多い日々のことと思いますが、どうぞ無理をしすぎないで、ご自身の心と体を大事にしてください。
事務局:さやかさんならではの優しい言葉ですね。本日はいろいろ聞かせていただきどうもありがとうございました!

栗山さやか
NPO法人「アシャンテママ」ファウンダー
アシャンテママ[Website]
https://www.achantemama.org/