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”日本と世界の懸け橋になるグローバル人材を育成、応援” ブレナー真由美さん(アメリカ)

2021年9月17日

香港で仕事をしていた時代に、転職のお手伝いをしてくれたブレナー真由美さん。よき友人であり、また信頼できる仕事仲間でもありました。

海外で活躍し続けている真由美さんに、どんな思いで走り続けてきたのか、そしてアメリカで起業された会社への思いを語っていただきたいと思います。


神経質な自分を変えてしまった1ヶ月間のイギリス語学留学

容子:今日は改めて、海外で働くということ、アメリカでの起業、仕事の使命感、などに関してお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。まずは、簡単な自己紹介をお願いします。

真由美:茨城県出身です。地元の大学卒業後、イギリス留学、日本で就職、そして、香港へ転職、香港でアメリカ人の主人と出会い結婚、3人の子供達に恵まれながら、仕事を続け、アメリカ、ロサンゼルス近郊、オレンジカウンティに転住。4年前に、Cross Border Connect 社を設立しながら、子供達の学校のPTA会長も務めています。

容子:走り続けていらして、精力的な真由美さんですね。現在のお仕事に至るのに、当然ですが、イギリス留学からかなりの影響を受けられたと思います。最初の頃の経緯を教えていただけますか?

真由美:大学在学中に、1ヶ月のイギリス語学留学に行きました。短い期間でしたが、ここで受けたカルチャーショックは今でも鮮明に覚えています。

小さい頃は結構神経質だったのですが、イギリスで「歩きながら食べてもいいの?」「カバンを床に置いてもいいんだ」とか、今となっては全然気にしなくなったことが当時は全て驚きで、大きな学びでした。また、英語を勉強すると多国籍の人達とコミュニケーションが取れて友達になれる。この喜び、発見は大きく心に残りました。この期間に、「絶対にイギリスに長期留学するぞ!」と決意して帰国しました。

経済的なことがあるので、一旦日本で就職するつもりが、母が「一旦就職してしまうと、チャンスを逃すかもしれないから、大学卒業後すぐにイギリス留学が良い」と背中を押してくれ、経済的な援助もしてくれました。下に4人も弟妹がいる大家族なのにと思います。母には感謝してもしきれません。

容子:お母様の後押しはすごいですね。この世代の方ですと、逆に反対する方の方が多いのではないでしょうか?

真由美:母自身が昔から海外、特にアメリカに憧れていたようです。海外特に英語圏に出ることは母の夢だったのです。

容子:お母様の夢と真由美さんの夢が重なり、実現に至ったのですね。

容子:その後のイギリスへの留学で、楽しいご経験をされたことと思いますが。

真由美:はい、とても楽しく刺激的でした。コベントリー、イギリス第二の工業都市バーミンガム近郊で留学しており、当時は日本人もあまりいなかったので、英語も上達しました。ホームステイ先でも可愛がってもらって、今でも3ヶ月に1回は電話で、話をするくらい仲良くなりました。今さっきも、ホームステイのお母さんとお話をしたばかりです。

 

イギリス熱冷めず、夢を持ち続けチャンス到来

2年半お世話になったホームステイのお母さんと

真由美:イギリスでの就職を希望していましたが、当時は今の様に情報を得ることが容易ではありませんでしたので、日本で就職し、職歴を作ってからイギリスでの就職の機会を作ろうと考えました。ロンドンで日本人留学生や日本語ができるイギリス人を対象にした日本の会社が集まる集団就職説明会に参加し、海外にも支店がある人材派遣会社パソナに就職しました。

パソナには3年間勤めたのですが、イギリス熱は冷めず、英会話学校に通い続け、夢を持ち続け、資金も貯めていました。留学中に出会った香港人の友人達に「香港に遊びにおいでよ」とずっと誘われていたこともあり、香港へ遊びに行きました。まだ中国返還前だった香港はイギリス人がとても多く、イギリス文化が色濃く残っていて、すっかり好きになってしまいました。帰りの飛行機の中で「香港への道を探す!」と決めました。

「イギリス領である香港で就職したらイギリスに行くチャンスもできるかもしれない」という思いと、まだ二十代半ばだったこともあり、人材業だけではなく他の業界での経験もしたいと思い、先輩からの紹介で日本の銀行への転職が決まり、1994年、まだイギリス領だった香港へ移住しました。

容子:今はすっかり中国返還への道が色濃く出始めた香港ですが、まだイギリス領の雰囲気でいっぱいだったのですね。すごい変化ですね。香港での仕事は如何でしたか?

真由美:駐在員も現地採用の日本人も、もちろん殆どが香港人の総勢200人近いスタッフメンバー皆が仲良く、上司や同僚からも色々と教えていただき、勉強になった4年間でした。ただ、1998年に当時勤めていた銀行が破綻してしまい、転職の流れになりました。そこで、金融業界に残るかどうか迷いました。

1年間アメリカ人の友人の会社で、海外の展示会の様子をDVDに起こして販売するという仕事をし、その1年後、人材紹介をしている先輩から「テンプスタッフ香港が事務所マネージャーを探している」と声をかけていただき、また人材業に戻ってみたい気持ちもあって応募しました。

テンプスタッフ(現パーソル)は当時は香港とシンガポールにしか事務所がなく、篠原欣子社長が自ら海外支店を見ていましたので、面接で直接お会いしました。アメリカのフォーチューン誌に12年連続で世界最強の女性経営者に選出され、2009年には、第37位にランクインされるほどの凄腕女性社長です。当時、日本では女性起業家で、ここまで大きな会社を引っ張る方はあまりいらっしゃいませんでした。

容子:面接では、どんなことをお話しされたのですか?緊張されましたか?

真由美:すごい方なのですが、とてもフランクで、緊張しない雰囲気を作ってくださったのだと思います。今も鮮明に覚えているのですが、「将来の夢は?」と言われ、「いつか私も起業したいです」と答えました。後で、「あれ、生意気なことを言ってしまった」と少し後悔しましたが、その日にスタッフの方からお電話があり、受かったと聞いてとても嬉しかったことを覚えています。

容子:オプラウィンフリーが若い頃、あるグループ面談で夢を言わなくてはならず、当時夢などなかったのに、マイクを持たされて、「多くの人に影響を与える人になり、大勢の人に勇気をあげたい」と言葉が出てきたと聞いた事があります。真由美さんも、急に聞かれて、無意識な夢が出てきた感じですか?

真由美:そうだと思います。具体的に考えていたわけではないのに、急に聞かれて、出てきた言葉でした。そのテンプスタッフで、現地法人の社長として16年間働くことになりました。意外とあっという間でしたね。私が就職した時は5人のスタッフだったのが、今では150人くらいになりました。

中国返還後、中国のビジネスが急激に増えた中国で広州支店を作り、2007年には現地法人を立ち上げました。日本の人材派遣会社としては初の外資系100%独自でパイオニア的存在になりました。その後、アメリカの会社とジョイントベンチャーを作ったり、そして日本での会社合併に伴って香港でも同じ流れになり、2011年から3つの会社合併の仕事に奔走しました。

2016年にこの大きな仕事も完了し、会社も落ち着いてきた頃、主人の社内転勤でアメリカへの移転の話が持ち上がり、その流れに乗り、現在のロサンゼルス近郊オレンジカウンティ、ディスニーランドの近くの街に引っ越してきました。

 

新天地アメリカでPTA会長に

容子:長く住み慣れた香港からの移住ですが、前から希望されていたのですか?アメリカ人の旦那様が故郷に戻るチャンスを探されていたのですか?

真由美:香港での生活は私たちにとって居心地も良かったのですが、ご存知の通り、中国返還後から徐々に様子も変わってきていることと、住み込みのお手伝いさんがいることが香港では常識で有り難かったのですが、子供達の為にも、地に足を付けた生活に戻る必要もあるのではないかと夫婦で思い始めていました。主人のアメリカの転勤希望と私の仕事のタイミングが合い、アメリカへの移住となりました。

容子:全て、タイミングがあったのですね。アメリカではすぐにお仕事に復活されるのですか?

真由美:車の右ハンドルから、左ハンドルに慣れるのも、子供たちの学校に慣れるのにも、1年間は生活に慣れることに精一杯でした。そうこうしているうちに、テンプスタッフの関連会社だった留学エージェントの社長さんからカリフォルニア大学アーバイン校での留学生のサポートの仕事の依頼が来て、留学生向けオリエンテーションや定期的なケアをはじめました。

容子:私もベルギーに来て初めて、左ハンドル運転を学ぶのですが、思ったより結構大変なんですよね!分かります。それから、お仕事が自然に始まるのですね。

真由美:そうなんです。子供達の新しい学校のことも知っておかなくてはと思い、学校のボランディアも始めました。去年から、PTA会長に就任して、校長先生からボランティア賞をいただきました。

容子:すごいですね!私は今でこそインターナショナルスクールなので、ボランティアに参加していますが、現地の学校の時は言葉の壁もあり、消極的でした。現地の学校でPTA会長は凄いと思います。

真由美:主人がユダヤ系アメリカ人なので私も結婚前に改宗し、香港では子供達もユダヤ系の学校に通っていました。私もフルで仕事をしていたため、PTAとは程遠かったのですが、ここアメリカのカルフォルニアの公立校は、人種のるつぼで、子供達の学校はアジア系や日本人も多く、他にはペルシャ系やヒスパニック系など、インターナショナルな雰囲気なので、自然に活動的になりました。

容子:面白いですね。アメリカ、最近のカルフォルニア事情ですね。そしてお忙しい中、どのような経緯で起業に至ったのでしょうか?

 

20年の職経験を活かし、起業の流れに

真由美:これも自然な流れなのですが、留学生のサポートを始めていくうちに、私の20年間の職経験が役立つ、海外でグローバルにキャリアを積んでいきたい方々へのキャリアカウンセリングをしているGJJ、ICC留学サポート、そして日本の大学で学びたい帰国子女の方のための立命館大学の入試説明会コーディネートをメインにパートナーシップを組んで始めました。

今後もパートナーシップを組みながら、自分自身でアメリカへの移住を目指している方、アメリカの留学生の方々が、日本やアジアで就職をしたい方々向けのキャリアサポートをしていきたいと考えています。世界は広いということをお伝えしていくこと、それを実現させてあげることが私の使命ではないかと思っています。

日本で合わないからといって、人生終わりではないし、私のように世界が広がって、全く想像していない仕事ができるかもしれない。海外での経験で日本の良さを再認識するかもしれない。逆に、日本のことをちゃんと知りたいと思っている帰国子女達が、日本文化をしっかり学び直せる機会が持てるかもしれない。この架け橋を作ることが私の使命だと思っています。

容子:素晴らしいですね!この世界ウーマンの読者の方々に直接お役に立つ情報をたくさんお持ちなのではないでしょうか?

真由美:はい、色々な相談にのれますので、お気軽にご連絡いただければと思います。

容子:3人のお子様もいらして、16年間以上会社のトップでスローダウンせず、お仕事を続けられ、また起業もされたのは容易なことではなかったと思います。女性として仕事を続ける秘訣などはあれば、最後にお願いします。

真由美:主人のブライアンには良い聞き役になってもらいました。そして、実家の母の励ましが落ち込んだ時にはいつも支えになってくれました。常に「上に立つ者は孤独だ」と自分に言い聞かせ、家族以外は相談をしなかったですね。逆に今は皆さんのキャリア相談に乗っていると、自分もプロの方にお願いすればよかったなと思う事が多々あります(笑)。

家族が一番大事だけど、自分の仕事、会社、スタッフが大好きだったので、逆にスタッフが慕ってくれるのが自分の支えにもなっていました。これらのお陰で、家族にも、スタッフにも恵まれ、仕事も続けて来れたのだと思います。それから、エクササイズが大好きで、毎日1時間、色々変えて何か運動しています。これも秘訣かな。

容子:今日は、本当にありがとうございました。これからも、日本と世界の架け橋を作るお仕事頑張ってください。応援しています。

真由美:こちらこそ、ありがとうございました。

ブレナー真由美
会社:Cross Border Connect LLC

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