
Olá!! ブラジル・サンパウロ州在住のHIROMIです。早速ですが、日本における嫁姑の関係性は、時に文化的・歴史的背景から少し独特で、複雑な側面がありますよね。
ブラジルではどうなんでしょう?
日本でもブラジルでも、結婚は「二人の問題」であると同時に、「家族との関係」が始まる瞬間でもあります。
ブラジルには、こんな言い回しがあります。
Quem casa com filho, casa com sogra(息子と結婚する人は、姑とも結婚する)
この一文には、結婚は当人同士だけで完結するものではなく、相手の家族との関係も同時に始まるという現実が込められています。
日本でも結婚後の親族付き合いに戸惑いを覚える人は少なくないと思います。ただ、日本の場合は本音を表に出さず、「波風を立てない」ことが重視される傾向があります。
距離感や立場を重んじ、表立っては語らないけれど、心の中では気を遣う、そんな文化的背景が感じられます。
対して、ブラジルでは、義母と嫁の関係を皮肉やユーモアで表した言葉が数多く存在します。
形は違っても、悩みの本質は意外と似ているのです。言葉にして笑い飛ばすことで、現実の難しさを和らげているのかもしれませんね。

日本では、嫁姑の不満を公の場で語ることは控えられがちです。問題があっても、直接的な言葉を避け、態度や距離感で調整することが多いでしょう。
一方、ブラジルでは、本音を冗談にして表現する文化があります。
Sogra boa é sogra longe
(良い姑とは、遠くにいる姑)Não more tão perto que a sogra possa ir de chinelo, nem tão longe que ela possa ir de mala
(義母がビーチサンダルで来られるほど近くに住むな。かといって、スーツケースを持って来られるほど遠くにも住むな)
という、なかなか刺激的な言い回しも、多くの場合は笑い話として受け取られます。
義理の母とは、近すぎず遠すぎずの距離が一番いい。気軽に頻繁に来られても困るし、泊まりがけで来られる距離も困る。
という、家族関係の「ちょうどいい距離感」をユーモラスに表した言い回しです。
日本語の感覚で言うと、「義母がふらっと来られる距離は近すぎる」「泊まりがけで来る距離は遠すぎる」「ほどほどの距離が一番平和」に近いです。
言葉にして笑い合うことで、関係の緊張を和らげているのです。

どこの家にも「事情」があります。嫁姑関係に限らず、家族にはそれぞれの悩みがあります。それを象徴するのが、次の言葉です。
Cada família tem sua cruz(どの家族にも、自分たちの十字架がある)
日本語で言えば、「どこの家にも事情がある」といったところでしょう。特定の誰かを責めるのではなく、家族関係そのものの難しさを受け止める表現です。
また、もう一つ、嫁姑関係を考える上で示唆に富んだ言い回しがあります。
Cada macaco no seu galho(猿はそれぞれ自分の枝に)
本来は「立場をわきまえる」という意味ですが、家族関係では、「必要以上に干渉しない」ことの大切さを教えてくれる言葉としても読めます。
距離を取ることは、冷たさではなく、関係を守るための知恵なのかもしれません。

さて、日本では、言葉を控え、空気を読むことで距離を調整します。ブラジルでは、冗談や会話を通じて距離を縮め、時に緩めます。
方法は違っても、目指しているのは「家族とうまくやること」。そのゴールは共通しています。
また、文化の違いを知ると、「なぜ分かってもらえないのか」という気持ちが、「そういう考え方もあるのか」に変わることがあります。
嫁姑関係は、完璧な答えがあるものではありません。けれど、言葉や文化を知ることで、少し肩の力を抜くことはできるはずです。
国は違っても、家族に悩み、向き合おうとする気持ちは同じです。これは、国際結婚をしている夫婦にもいえることでしょう。
その共通点に気づくことが、良い関係を築くのに大切なのではないでしょうか。

なかなか話題になりにくい「義父」。嫁姑関係に比べると、「義父」という存在はあまり語られることがありません。
しかし、結婚を機に家族が増える以上、義父との関係もまた、無視できないテーマです。
興味深いことに、日本とブラジル両国では、義父の存在感や役割にはっきりとした違いが見られます。
日本では、義父は比較的「控えめ」な立場に置かれることが多いようです。家の中では寡黙で、直接口出しするよりも、母親(姑)を通して意見が伝えられるケースも少なくありません。
これは、年長者としての威厳を保ちつつ、家庭内の調整役を妻に任せるという、日本的な役割分担の名残とも言えるでしょう。
日本語には、義父を直接的に皮肉ることわざはあまりなく、その存在はどこか「影の立役者」として扱われがちです。
一方、ブラジルでは、義父は家族の中で比較的存在感が強い傾向があります。
冗談を言い、意見を述べ、時には娘婿・息子の配偶者とも対等に会話を楽しみます。ブラジルでは、年長者であっても、「話す・笑う・交わる」ことが家族の一員である証とされます。
そのため、義父も遠慮なく会話に加わり、家庭の中心にいることが少なくありません。
義父そのものを直接指す有名なことわざは多くありませんが、家族内での立ち位置を表す表現として、嫁姑関係にも表現された次の言葉がよく引用されます。
Cada macaco no seu galho(猿はそれぞれ自分の枝に)
前述したように本来は「立場をわきまえる」という意味ですが、義父が「助言はするが、支配はしない」理想的な存在であることを示す文脈で使われることがあります。

日本では、義父が多くを語らないことが「配慮」や「思いやり」として受け取られます。
一方、ブラジルでは、話しかけないことが「距離」や「関心のなさ」と受け取られる場合もあります。
この違いは、国際結婚や多文化家庭において、誤解を生みやすいポイントの一つです。表現方法は違っても、義父という存在が家族を大切に思う気持ちは共通しています。
口数が少なくても、冗談が多くても、根底にあるのは「家族がうまくいってほしい」という願いです。
義父との関係に戸惑った時、「性格の問題」と片付けてしまいがちですが、その背景には文化の違いがあるかもしれません。
沈黙を尊重する文化と、会話を通じて関係を築く文化。どちらが正しいということではなく、違いを知ることが、関係を円滑にする第一歩になります。
義父との関係は、家族との距離感そのものを映し出します。近すぎても難しく、遠すぎても誤解が生まれる。
だからこそ、相手の文化を知り、自分の立ち位置を少し調整することが大切なのかもしれません。
前述したように、文化の違いを知ることは、相手を理解するための第一歩だと思います。今回も読んでくれて、Muito obrigada!!!
Written by HIROMI(ブラジル)