ロックダウンが解除され、車やバイクが少しずつ増加
Xin chào! ベトナム・ホーチミン在住のYayoiです。
私の9月のコラムでは、ホーチミンは軍隊が出動し、2021年8月23日から9月30日まで「絶対に外出してはならない」というあり得ないレベルの制限をかけられたロックダウンについて書きました。
その後ホーチミン市が、「ゼロコロナ」ではなく「withコロナ」に方針を転換したことにより、10月1日にロックダウンはついに解除に!ホーチミン市民は市内であれば自由に外出できるようになりました!
かといって全ての制限が一気に取り払われたわけではなく、9月16日から3段階のフェーズに分けて徐々に市の社会経済活動を再開していく計画。
全てが完全に再開するのは2022年1月16日以降の予定です。
現在は第1フェーズで、10月1日以降ショッピングセンターなどは営業していますが、一部サービス業は未だ営業不可。飲食店も店内飲食はできず、デリバリーかテイクアウトのみ。
タクシーなどの公共交通機関も台数を限定しての営業。ワクチン接種などの要件を満たした企業は再開可能など、多少の制約を残しながらの社会活動の再開です。
ホーチミンの日本人街の一角。「For Rent」が並んでおり、移転したお店も
ロックダウンは解除になりましたが、依然として新規感染者は毎日1000人前後発生しています。
それでも街を歩きながら感じることは、10月1日以降、日を追うごとにバイクや車などが増えており、徐々に人が外に出始めているということです。とはいっても、人出はまだ感染拡大前の頃に比べると少ないです。
そして今回、スーパーなど生鮮食品を販売する店以外の店が、数か月にわたってほぼ営業できなくなってしまった結果、閉店に追い込まれてしまったお店も多いようです。
実際、街を歩いていると、「For Rent」の張り紙をちらほら見かけます。
このロックダウンが経済や人々に与えた打撃はかなり大きく、閉店したお店が増えたことはもちろん、職を失ったなどの理由で、数万人がホーチミンから故郷へ戻ったそうです。
反対に「ホーチミンは危ないから」と帰省していた人たちが思うように戻って来ず、企業やお店の人員不足も起こっています。
様々な規制をかけられてしまったために撤退や他国へ移転をする企業が出てきたり、コロナで親を亡くして孤児となってしまった子どもたちも出てきています。
9月のコラムを書いた時点では、「このロックダウンはかなり大変だったけれど、いい経験になりました」とポジティブに締めくくろうと考えていましたが、今ではとてもそのように締めくくれそうにはありません。
ホーチミン市民の憩いの場、ベトナムのオペラハウス前
ベトナム人達でさえ、このロックダウンの方法には戸惑いや不満を覚えていました。
日に日に厳しさを増す規制や、思ったように水や食料が手に入らない状況。8月23日から9月30日まで、通算39日間家から全く出られない生活。地域によっては、何度も何度もPCR検査のために呼び出される日々。
もし住んでいるマンションに感染者が出てしまったら、そのマンションごともしくは感染者の出たフロアが完全封鎖。このようにかなりストレスフルな生活を強いられる中、仕事はリモートワークで通常通り行わなければなりません。
でも、仕事があるだけよかったのかも知れません。特にサービス業や自営業の人たちは、お店を開けられないために仕事をすることもできず、数か月間は売り上げもゼロ。日本のような保証は一切ありません。どんな思いでこの時を過ごしたのでしょう。
学校もオンライン授業が現在までずっと続いており、子ども達は学校へ行って友達に会うことができません。ロックダウン中は外に出て遊ぶことすらできませんでした。
これだけ厳しい生活を強いられたので、一時退避や本帰国で、日本に帰国してしまった人たちも大勢います。
今ではやっとこのような日々も終わりを迎えてくれましたが、思い出しただけでも少し怖くなります。
そんな中でも、SNSで食料品のデリバリー情報を共有したり、自炊した料理をアップしたり。どうにかこうにか日常の中に楽しいことを見つけて、笑えるようなことをシェアし合っていました。
ベトナム人たちにも食料デリバリーのボランティアを教えてもらうなど、色々な場面で助けてもらいました。人との繋がりがこれほどまでに嬉しく、大切なものだと身に染みて感じられたことは人生の中で初めての経験でした。
やっと苦しい時が終わり、新しいスタートが切られたホーチミン。かなりのダメージを受けているので、これからが正念場なのかもしれません。
でも今はとにかく、今までの普通の日常が少しずつ戻りつつあることが本当に嬉しいです。
あれだけ強烈なロックダウンを何とか乗り越えられたのなら、これからやって来るかもしれない厳しい時も、乗り越えられるような気がします。
Written by 平良弥生(ベトナム)