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異色の経歴!箱根の仲居を経てイタリア留学中の女子大生が綴る物語

2026年2月23日
高倉舞 (イタリア)

24歳の大学3年生、3年遅れで踏み出したイタリア留学への道

世界ウーマンコラムをお読みの皆様、はじめまして!高倉舞と申します。

現在は大学のプログラムを使ってフィレンツェに留学をしている、2027年に卒業予定の大学3年生です。原則、予定というより希望です。

初回ということで、今日は私自身のことについて少し紹介させていただきたいと思います。

2001年生まれ、現在24歳です。

「あれ?このひと大学三年生って言ってなかった?」そう思った方、とても鋭いです。

私は同学年の友人より3年遅れて大学に進学しています。

今日はその経緯を含め、お話できればと思います。

 

「数字アレルギー」なのに理系特進クラスへ? 謎の決断と猛勉強の日々

遡ること、2019年。だいぶ遡りますね。

当時の私は自転車と電車を乗り継ぎ、自宅から通学するのに1時間強かかる中高一貫校に通っておりました。

そして、中学から高校に進学するタイミングで、文系か理系かという選択に迫られた私は、今振り返っても「なぜ?」と自分に問いただしたくなる選択をします。

数学、物理、化学。とにかく数字に関するもの全般が苦手で、明らかなアレルギー症状を自分でも、周囲からも認知されていました。

それにも関わらず、何を血迷っていたのか、「よし!理系だな!」と、謎の決断力を発揮し、即断。

当時の私の心境としては、「数字苦手だから無理やり勉強しなくてはいけない環境に自分を追い込もう」という、なんともドMな発想をしていたんですね。

そして、おそらく長年私を見てくださっていた担任の先生の計らい、というより一縷の望みをかけた賭け、と言いましょうか。

中学生の頃、スマホ欲しさに毎朝4時半に起き、6時に学校に着いて自習に励み、学校終わりに地元の図書館で閉館時間まで勉強するという、今の私を知る人には想像もつかない鬼勉強期が2年ほどありました。

今は夜更かし大好き、昼の12時に起きることが日常となっています。

そんな当時の様子を見ていた担任の先生の、「こいつは、いざとなったらやるはずだ」という期待を込めて、おそらく職員会議で皆々様の反対を押し切って、私を推していただいたのでしょう。

そうして私は理系の中でも、上位国公立大学を目指す特進クラスに在籍することになりました。

クラスの人数は16人。他クラスは40人だったのでかなりの少人数です。勉強したい人が、好きなだけ勉強に取り組むことができる、そんな環境でした。

 

受験勉強ではなくハローワークを選ぶことに

そして、ある日のこと。私は唐突な大学進学拒否宣言「大学行かない!」をしたのです。

当然、先生や家族から猛反対を受けました。それはそうでしょう。「あの職員会議の時間はなんだったんだ」、そう思ったに違いありません。

「今が大学進学には1番適した時期」
「今を逃したら、次いきたいと思った時でいける確証なんてない」
「いつ行くの?今でしょ!」

しかし、当時の私はなぜか謎の自信に満ちていました。

「いや、大学には行かない。やりたいことができたら、そのタイミングで大学に行く」。今思えば根拠ゼロですが、その時は本気でした。すると、母から一言。

「それなら家を出て自立しなさい」

そうして周囲が受験勉強に励む中、高校生の私はハローワークに通うことになります。

 

「日本っぽい仕事」がしたくて箱根の仲居になるも、、、

懐かしの箱根湯本駅

「海外へ行きたい」、その思いは当時から強く抱いていました。ただ、人脈も資金もない。

そこで、「よし、じゃあまず海外海外言ってないで、日本人としてのバックボーンを確立するか」と考えました。

そして、ハローワークのお姉さんに、世界一ふわっとした希望を伝えました。

「日本っぽい仕事がしたいです!」

出していただいた選択肢は、「舞妓」「仲居」「巫女」の三つ。

舞妓は年齢的にも身長的にもアウト。そして、仲居と巫女で迷った末、旅館であれば

「懐石料理や花、和室でのルールまで学べそう」
「毎日仕事をしていれば、和室での振る舞いや丁寧な言葉遣いが骨の髄まで染みそう」

という理由で仲居を選びました。

これが、想像以上に大変でした。何が「大変」かというと、自分の使えなさ加減です。

高校がアルバイト禁止だったため、まともに働いた経験がなく、先輩との距離感や仕事を教わる時の態度、基本的な社会人ルールを何一つ知らぬ上に、とびきり物覚えが悪い。極めつけは、愛嬌がない。かけらもない。

今振り返っても先輩方にとって、さぞ扱いづらい存在であったかと思います。

最初の数か月は失敗続きで、泣きながら箱根から小田原にある社員寮に車を走らせていたのを今でもよく覚えています。

 

二十歳直前に思い立つ「そうだ、世界へ行こう」

それでも人間不思議なもので、時間とともに少しずつ慣れていきます。

そして、20歳の誕生日を意識し始めた頃。

「パリに行こう」。そう思い立ちました。

そこから一気に渡航に向けて準備を進め、20歳の誕生日直前、バタバタと日本を飛び出しました。

10代も残すところ後2日、というところで滑り込みでパリに到着。

そこから3か月間、シェンゲン協定の滞在期間ギリギリを攻めてヨーロッパを旅して回り、若干オーバーしました。

その後、アメリカに渡り、知り合いという知り合いを訪ね歩き、3人という少なさでしたが、ついに貯金が底をつき、日本に帰国しました。

その1年後、国際基督教大学に入学し、3年遅れで学生生活をスタートさせました。

そして、昨年9月から、イタリア・フィレンツェに留学しています。

次回以降は、

・なぜイタリアだったのか
・世界一周(仮)の話
・留学して見えてきた「働き方」や「生き方」
・人生遠回りしてみて感じること

など、少しずつ書いていけたらと思っています。これからどうぞよろしくお願いいたします!

イタリアから愛を込めて。

現在、インスタグラムでイタリアでの留学生活の様子や、日々書いているジャーナルノートを発信しています。ぜひ覗いてみて下さいね!

Written by 高倉舞(イタリア)

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