「子供達にはどこに住んでいても日本人としてのアイデンティティを持っていて欲しい」
これは海外で育児をする日本人母の共通する切なる思いではないだろうか。
メインの学校の勉強も過酷さを増すばかり。どうすれば日本語の勉強を続けられるのか。果たして、続けることが必要なのか?どこまでやればいいのか?
このような思いをしてきたのはもちろん筆者だけではなく、世界中にいる。そこでさまざまな状況で奮闘する世界ウーマンの女性達との座談会にて、個々の日本語教育について熱く語ってもらった。
参加者は、
・ベルギー在住ロケタミコさん(長男15歳、次男13歳)
・ベルギー在住ホーゲデウア容子さん(長女16歳、長男13歳、次女11歳)
・オランダ在住藤村ローズさん(長男13歳)
・マカオ在住周さと子さん(長男14歳、長女13歳)
・イギリス在住アレン真理子、筆者(16歳双子の長男、長女)
さまざまな背景でそれぞれの多言語子育てを経験してきた母たちの話をはとても興味深かった。
ベルギー在住ロケタミコさん(長男15歳、次男13歳)
家族でよくピクニックをします
「日本語補習学校(補習校)がなにより最優先という姿勢を崩さなかったんです」というのが、ベルギー在住で13歳と15歳の男の子を持つ、ロケタミコさん。
ご主人がベルギー人で兄弟同士の会話は9割がフランス語、地元の学校に通う息子さん達はそれでも流暢な日本語を話す。
そんなタミコさんの日本語教育の目標は「日本で生きていけるくらいの日本語能力を持ってもらう」こと。そのために頑とした姿勢を貫いている。
補習校へ行く日は、友達の誕生会があろうが大事なクラブ活動があろうが、「他の選択肢は与えなかったんです」と言い切る。それによって子供たちに、日本語を学ぶのは当然なことなのだと意識づけることに成功している。
でも、小学生ならともかく、自我が目覚めたティーンとのやり合いは大変だったはず?
「一度だけ、本当に行きたがらない時がありました。授業参観の時に泣き出した時もありました。でもそれを乗り越えたら、もう何も言わずにちゃんと通うようになったんです」
とっても穏やかなほんわかとした雰囲気のタミコさんは、子供がどんな反応を示しても、たんたんとお弁当を作り、子供達を連れて行ったと言う。音読などは自宅でみっちりとフォローアップ。
並大抵ではない努力と強さに素直に感動する。その強さはどこから来るのか?
たみこさん夫婦は日本で9年間過ごし、いつか日本に戻りたいという思いがある。「日本に戻るという選択肢を残したかったです。そのためには子供たちの日本語をキープするのが大事なんです」
ベルギー在住ホーゲデウア容子さん(長女16歳、長男13歳、次女11歳)
ベルギーのフライドポテトはとっても美味しい!
一方で、やはりベルギーに住み、オランダ人の夫を持ち、三児の母である容子さんは「子供達ではなくて、私が日本語教育が辛くなってしまったんです」と切実な思いを訴える。
容子さんは家族で多くの国に住んできた。子供たちが幼少時代をすごしたシンガポール、オーストラリアでは、「バリバリのバイリンガル教育」に身を投じ、「力を入れすぎるくらい」日本語教育に力を入れていたそうだ。
「日本語!日本語!」といつもキリキリしている自分がいた。家族の会話も盛り上がらない、家族で過ごす唯一の時間が日本語の勉強で潰れてしまう、とジレンマに悩まされた。
それが変化してきたのは、まったく日本語教育のサポート体制のない南アフリカに移住してから。
学校の成績もスポーツも高い水準を求められる学校では、「日本語教育どころじゃなかったんです。まずは英語の語彙をもっと増やさないと!」という状況だった。
「子供達に日本語教育するには、自分の心にもゆとりやときめきがないとダメ」という気付きに達した容子さんはその後、子供も自分もマイペースで続けられる公文での勉強に切り替えている。
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