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”取り残される子供達が一人でも減るように” 栗山さやかさん(モザンビーク)

2021年5月29日

今回の世界ウーマンインタビューは、栗山さやかさん。

さやかさんは、アフリカのモザンビーク共和国北部、マラウイ共和国南部で主に親を亡くしてしまった子供たちをサポートするNPO法人「アシャンテママ」を2009年から運営しています。

もともとは渋谷109で働くバリバリのギャルだったさやかさんは、25歳でバックパッカーとなり、約60か国をめぐったのちに東南アフリカのモザンビークに居を構え、NPO法人活動を開始。モザンビーク国立医療技術学校で学び、医療技術師国家資格を取得しました。

2014年に安倍首相のアフリカ外交時のスピーチにも登場し、2016年には日本財団賞を受賞。

世界ウーマン読者の皆さんにも是非知っていただきたい社会活動家のお一人です!


ギャルだった私が一人でアフリカを訪れた理由

事務局:さやかさん、本日はお会いできて嬉しいです。実は私、さやかさんが書かれているブログ「プラ子旅する~まだアフリカです~」の読者でして、私が知る世界とかけ離れた危険な場所で日本人たった一人、しかも女性で活動されているということに、ただただ凄いなぁと感嘆していたんです。

さやか:こちらこそインタビューの機会をありがとうございます。今日はよろしくお願いします。

事務局:早速、さやかさんが海外に出ることになったきっかけからお聞かせください。

さやか:私が24歳の時に子供の頃からの親友が乳がんで亡くなってしまったことが大きかったと思います。彼女が亡くなってから人は何のために生きるのか分からなくなりました。人生ってなんだろうって考えるようになって。

それまでは渋谷109で働くギャルでファッション雑誌ばかり読んでいたのですが、いろんな本を読むようになり、坂之上洋子さんの海外生活に関して書かれたエッセイを読んだのがきっかけで海外に目が向くようになりました。

2006年シリア北部アレッポを訪れた時

それまでも海外旅行をしたことはありましたが、今までとは違う世界を見たいと思いました。特に発展途上国の人達がどんな生活をしているのだろうと。

それまで貯金をしていて学費の返済に充てよう考えていたのですが、母が「自分で貯めたお金なんだから自分の為に使いなさい」と言ってくれて、そのお金でバックパッカーとして世界を回ろうと決意しました。

事務局:最初からアフリカに行こうと予定していたんですか?

さやか:アフリカだけは行くまいと思っていました(笑)、さすがに危険だろうなと思って。

事務局:そうだったんですか!それが、どうしてアフリカに行くことになったんですか?

さやか:旅する中で、貧しいと言われている国で現地の人達にずいぶん助けてもらいました。見ず知らずの人達が食べ物を分けてくれたり、道を案内してくれたり、現地通貨がなくてバスに乗れずに困っていたらバス代を出してくれたり。そのうちに「どこかで恩返しをしたい」という思いが出てきていました。

バックパッカー達って安宿で情報交換するんですが、アフリカ大陸を回って来たバックパッカーからアフリカの現状はやっぱり大変だという話を聞きました。

それで私でも何か出来ることがあるかな、少しでも誰かの助けになれるかなという思いでアフリカに渡りました。特に急いで日本に帰る予定もなかったですし。

事務局:それでエチオピア、アディスアベバの医療施設でボランティア活動を始められたんですね。

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