皆さんこんにちは、ブラジル帰りのキャリアコンサルタント・マリです。世界中どこにいても輝けるキャリア&ライフを応援します。
私が出会った魅力あふれる女性達に、インタビューしていきたいと思っています。個人的な興味もさることながら、職業柄、世界で頑張る女性達にエールを送りたいのです。
私がナターリアと出会ったのは、ポルトガル語の先生と生徒という関係でした。
「初めまして、星ナターリアと言います」と自己紹介してくれましたが、本名は「星淳子(ホシアツコ)」さんです。日系ブラジル人の彼女は、ナターリアというブラジルの名前で青春時代を過ごしました。
見た目はほとんど日本人、しかもどこか懐かしい雰囲気が漂っている優しい人で、以来、親しみを込めてナターリアと呼び続けています。働きながら2週間に1回、覚えの悪い私にナターリアはよく付き合ってくれました。
単に言葉を教えてくれるだけでなく、それにまつわる文化や習慣について沢山説明してくれたので、迷っていたブラジル行きが現実味を帯びてきました。
でも、彼女の奥に隠れた意思の強さや、決して折れることのないしなやかな精神について知るのは、もう少し先のことでした。
ナターリアが生まれたのは、ブラジルサンパウロ州サントスです。1908年日本からの移民船笠戸丸が着いた港町です。福島出身の両親と年の離れた兄二人の間で、日系人2世として育ちました。
「日本の社会は難しい」とよく口にしていた父は昭和の日本男子そのものでしたが、心の中には夢やロマン、冒険心を秘めてブラジルへ渡ったようです。その後、ブラジルで日本文化の継承や、現地に学校を作ることに尽力されました。
そんな父に伴い地球の裏側まで付き合った母は、元は東京の大きな病院で看護師長として働くキャリアウーマンだったそうです。
ナターリアが後に医療関係に興味を持ったのは母の影響ですが、「女性は職業を持たなければいけないよ」と言う母の口癖は、彼女が自立することを助けました。
子供の頃、家の中では日本語を使っていたそうです。母はポルトガル語を話さなかったので、大きくなるとナターリアは通訳代わりになりました。
反面、日本の文化や風習については、心を込めて丁寧に教えてくれたそうです。ナターリアの柔らかい印象は、この母の教えから来ているのだと思います。
ブラジルの現地の学校へ通い始めたナターリアは、週末は日本語補修校へ通いました。さらに中学3年間は週に2回、夜のコースで学びましたが、受験モードになってから、少し日本語から離れました。
そして晴れて大学へ進み、ブラジルで歯科医師の資格を取った後、日本へ留学しました。1年間インターンとして小児歯科でキャリアを積み、その後さらに大学院へ進んで、忙しい日々を過ごしました。
朝から外来をこなした後ラボがあり、学会の準備や研究、眠る間も惜しんで仕事や勉強をしました。その話をするナターリアは、とても嬉しそうです。当時の充実した毎日を誇らしく思っているのでしょう。