あらゆる種類の人生模様が渦巻いている、移民国家のオーストラリア。いろんな国々から様々な理由でオーストラリアに入国してくる人達は後を絶たない。
数年前、たまたま観ていたテレビ番組で取り上げられていた、シドニー在住の外科医。素敵な家に住み、幸せな家庭生活を送っている姿。彼の過去を知った時の衝撃は今でも鮮明に残っている。
彼はフセイン政権時代に政府軍の命令に背き、命からがらイラクから脱出。
約4年間、東南アジアを「不法滞在者」として逃亡した後に、ブローカーから買ったチケットで行き先も告げられぬまま船に乗り込み、流れ着いたのがオーストラリアだった。
オーストラリアで不法入国者として、難民収容所や刑務所に数年間拘留された後、彼はイラクへと強制送還された。そして数年後、彼は再び、オーストラリアに正規のビザで戻って来た。
イラクで外科医としての道を歩んでいた彼は、ある日を境に「不法滞在者」へと姿を変えた。そして現在では、世界で3本の指に名を連ねる外科医として、ここシドニーを拠点として活動している。
オーストラリアにはたくさんの難民達が住んでいることは知ってはいたが、それまでさほど関心が無かった「難民」。
しかし、この外科医を知って、彼らの存在が私の中で急に光を放ち始めた。この外科医との出会いは、私の中で破壊と再生が怒涛のごとく起こったような感覚だった。
彼の破壊力の影響をモロに受けた私は、それからとにかく難民達が気になって仕方なかった。
そんな時、ネットで偶然見つけた、難民サポート団体のイベント告知。なんとそのイベントには、あの外科医がゲストとして招かれていた。
引き寄せられるようにそのイベントに参加したその日、私は彼のあまりの強力なオーラと眼差しに、一瞬たじろいでしまうほどだった。
イラクで外科医として勤務していた病院に連行されてきた捕虜達を拷問する為に、体の一部を切り取る命令を受けた彼。
その命令にどうしても従うことができず、命からがらその病院を抜け出し、それからほどなくしてイラクを脱出したそうだ。
初めて聞いた、「愛する母国に牙を向けられた人の話」に心が痛んだ。
このイベントを主催した、Asylum Seekers Centreで、ボランティア活動をすることに決まったのは、イベントからほどなくしてのことだった。
国の紛争や政治不安など、様々な理由で母国には住めなくなってしまった人々が、オーストラリアにプロテクションを求めて、観光ビザや学生ビザなどの正規のビザを使って入国してくる。
そして、オーストラリアに入国すると、彼らは「難民として認定される」ために、プロテクションビザを申請する。
Asylum Seekersとは、直訳すると「亡命希望者」。プロテクションビザ(難民ビザ)の申請までは済ませているが、まだ難民認定されていない状態の人たちだ。
プロテクションビザの認定を待つ間は、ブリッジングビザを使ってオーストラリアに滞在するのだが、そんな彼らの中には就労が禁止されている人々も多い。オーストラリアの健康保険にも加入できなかったり、補助金なども支給されない。
ブリッジングビザの種類にもよるらしいのだが、私がボランティアしていたAsylum Seekers Centreに来る人達は、仕事ができずに厳しい状況で暮らしている人達がほとんどだった。
センターには食事や物資、ボランティアで不定期で働いている弁護士や医師を求めて、たくさんのAsylum Seekersたちが訪れた。中には、よちよち歩きの子供や赤ちゃんを連れている家族も少なくなかった。
私は彼らの姿を見る度に、彼らが一体どれだけの経験を携えているのかを想像しようとしたのだが、私なんかの脳みそや僅かばかりの想像力では全く太刀打ちできなかった。
そんな時、あの外科医がイベントで言っていた事が蘇る。
「自分の国を追われる事は、誰にでも起こりうる事で、何も特別な事じゃない。だから、私達には思いやりが必要なんです」
この言葉で私の脳裏にふと浮かんだのは、「もし日本とオーストラリアに戦争が勃発した場合、私は一体どうなるんだろう」ということ。
「彼ら、Asylum seekersは、私ならば耐えられずに潰れてしまうかも知れない経験をくぐり抜けてきたのかもしれない」そんな事を想像していると、私は彼らを誇らしく思ってしまう。同じ移民として、心から応援する。
よくここまで生きてきたね。誰が何と言おうとも、あなた達は誰以下でも誰以上でもない。私達は同じ人間なんだよ。もう大丈夫だよ。
Written by 野林薫(オーストラリア)