私は幼い頃から読書が好きだった。
暇があれば常に本を開いていたし、高校生になる頃にはまさに活字中毒。
図書館や友達から借りてジャンルを問わずたくさんの本を読んだし、身の回りにある文字はお風呂場にあるシャンプーの成分表さえ読んでいたくらい。
とりにかく色々なことを知りたい、知らないものをもっともっと見てみたい、そんな好奇心の塊で膨大な量のインプットをしていた。
その一方で、アウトプットが苦手。
小学生の頃から作文を書くのが苦痛で、夏休みの読書感想文なんて、毎年たくさん読んだ本の中からどれが少しでも楽に書けるかという基準で選び、提出日ギリギリに原稿用紙のマスを埋めていた始末。
本を読んでせっかく楽しかったのに、宿題で強制的に感想文を書かなくてはいけなくて、どんどん読書感想文を書くのが嫌になっていく。そんなインプットとアウトプットのバランスがかなり悪い子供時代だったように思う。
でも、大人になって、仕事をしていく上でアウトプットは本当に欠かせないものであるだと思い知らされることとなる。
資料を作るのにも文章を書く必要があるし、業務の中でお仕事ブログを毎日書くことを課されたこともあった。
最初は本当につらかったけれど、書けば書くほど、書くのが楽になるという実体験。
インターネットでありとあらゆる情報が収集できる時代、逆にいえば、文章によって自分を知ってもらえる大きなチャンスであるのだと気付いた。
自分の記録のためにブログを書いていたら問い合わせが来て仕事につながったり、「執筆料を払うからあなたの貴重な経験を書いてほしい」と依頼が来たりすることが実際にあるのだ。
「書くことは、もっとも容易なアウトプットである」と著者の成毛眞さんは言う。
といっても、書けるようになるにはある程度のスキルと慣れが必要。
別にうまい文章を書く必要はなくて、分かりやすいことが一番大切。基本的な文章術は小中学校ですでに習得している。
それでは、社会人が書くべき文章は何かというと、「紹介文」であると著者は言う。
何かを紹介するのだから、何を書いていいかわからないということはない。確かに何かを文章で紹介すればいいと言われれば、対象ははっきりしていて困ることもない。
あとは手を動かすだけ。実行あるのみ。
本の中には、実際にどのように書けばいいのか、ブロックを意識したテンプレート的な方法も記してある。この方法がすべてではないが、書けない病にかかっている時などは今でもこの方法に助けられている。
また、アウトプットすることによってしか、アウトプットは上達しないともある。
それもオープンな場所で。
私も自分の書いた記事は提出するまでに何度も読み返すが、それでもメディアに掲載された自分の文章を客観的に読み返すことによって、
「ここはもっとこう書いた方がよかった」と反省することもあれば、思わぬ高評価を受けることもある。
そういうことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分の型のようなものができてきて、アウトプットが楽になっているということにある日突然気付くのである。
これは、アウトプットを前提にすることでインプットも変わってくることにも起因するのではないかと思っている。
最後に繰り返すが、このボーダーレスの時代を生き抜いていくためにはアウトプットは欠かせない。実際に公の場で書くようになってからその思いは強くなるばかりである。
インプットが過多な日本人にとっては、情報を吐き出すくらいの感覚でちょうどよいのかもしれない。
「世界ウーマン」では随時コラムニストやライターを募集しているので、この本を読んでアウトプットを始めてみるのはいかがだろうか。
Witten by 藤村ローズ(オランダ)