本書のジェーン・スー氏はかなり硬派だ。冒頭の文章、
「板垣死すとも自由は死せず!加齢すれども女子魂は死せず!」
からも分かるように、「女子」に対して非常に熱い思いを持っており、また紆余曲折した数々の経験をしてきた人である。
彼女はこよなく女子である一方、まったく女子っぽくないと思う。
細胞中にある46本の染色体のうち2本のX染色体を持って生まれてきたら、人は自動的に「女子」に分類される訳だが、彼女には簡単に分類させてくれないような知性と強さを感じる。
雑誌のコラムやラジオで見たり聞いたりする彼女のコメントは、とても辛口だ。その辺にいる男子にはまったく歯が立たない相手だろう。
一応同じ女子である私も惹かれては近づき、恐れ慄いてはちょっと距離を取る、そんな関係のコラムニストなのである。
「いつまで女子でいるつもりだ」、しかも「貴様」という表現強めの二人称からはじまるタイトル。
この問題については高校の途中くらいからずっと気になっており、今も細々とずるずると続けてしまっているので恐る恐る読みはじめた。
いくつになってもいまだに女子会を続けている私だが、いつまで続けていいのか、やっている本人たちもちょっと疑問を抱いていると思う。
だから遠慮がちに、しかし大胆に、チャンスを狙っては女子会を開くのだ。
女子会はとても楽しい。自分が女子であることを確認できるし、女子で居続けるために行く。目的は女子力を上げるためと断言できる。
気の合う女友達とおしゃれして、一緒にキラキラしたものを見たり、小さくてかわいくておいしいものを食べたり、心ゆくまでおしゃべりできる楽しい会なんてそうそうない。女子会大好き!
だが「女子会でなく、もっと年齢に合う会を開催するべきでは」という懸念も抱いているのも事実だ。「女」に「子ども」と書いて「女子」。成人している以上、もう子供ではないわけだから。
でも女子にはずっと女子でいたいという願望があるようだ。一生子供でいるのは嫌だけど、「おばさん」はもっと嫌。
アラサー以降の女に対するちょうどいい呼称がないのだ。それならば、若い頃からおなじみの女子でいたいというか。
「女子」という概念には、年齢や肉体の瑞々しさだけでなく、メンタリティーが大きく関係している。女の心に宿る嗜好性、指向性、思考性などのスピリッツが関係している。
ジェーン・スー氏いわく、「女は生涯、いち女子」だという。それでいいのだそうだ。女子であることはいわばタトュー。一度掘ったものは自然に消えることはない。
女子にはいろんなタイプがある。かわいい系女子会を開く女子もいれば、スペインバルでベロベロに飲み倒すカリブの海賊系女子、ていねいな暮らしができる女子、できない女子、金子みすずさんの言葉を借りると「みんなちがって、みんないい」となる。
本書の中ではいろんな女子に関してさまざまな角度から考察がなされているので、「女子」とは一体何者なのかについて深い理解が得られるだろう。
読んでいるうちに「女子であること」に対して、きっと自信がみなぎってくるはずだ。
せっかく女子に生まれたのだから、やっぱり女子を楽しんだ方がいいと背中を押してもらえた気になった。
Written by 藤村ローズ(オランダ)