春めいた淡い色のカラフルなイースターエッグと可愛いうさぎがる店頭に飾られ、今年もイースターの到来を告げていました。
春分の日以降の最初の満月から一番目にくる日曜日、この日がその年のイースターとなるわけですが、今年は3月28日が春分の日以降の初めての満月でしたので、その後一番目にくる日曜日、4月4日がイースターでしたね。
春を祝うイベントとして取り入れられ、欧米の子供たちがエッグハントを楽しむキリスト教の祝日イースターですが、キリスト教信者にとってはクリスマスと同じくらい、いや、もしかしたら、クリスマスよりももっと重要な意義があるかもしれません。
まずここで、プロテスタント信者にとってイースターが意味するものについて簡単にご説明したいと思います。(イースターについてはWikipdediaなどでご参照ください)
エルサレムの神殿の奥には神の霊が宿る聖壇があり、この聖壇は天井まであるカーテンに囲まれていました。このカーテンの中に入ることを許されたのは、神から任命された特別な聖職者のみ、礼拝するときだけでした。
イエスが息を引き取ったとき、このカーテンは上から真っ二つに引き裂かれ、地面に落ち、聖壇が公になったと聖書に記されています。これが象徴するものは、束縛のない、神への自由なアクセスです。
つまり、イエスの流した血が全てを浄化したことで、神との隔たりが取り外され、私たちは誰を介する必要もなく、必要な時にどこからでも直接神と繋がることができるようになったということです。
ここがカトリックと少し違うところでもありますが、こういった理由で、プロテスタントは神父にではなく、直接神に懺悔、聖者にではなく、直接神に祈ります。
このように、イースターは春の到来を祝うイベントというよりも、イエスの無条件の愛で神と直接繋がることができるようになったことへの感謝、原罪から赦される喜び、イエスの死からの復活で天国への希望が生まれ、その日への期待を象徴する日であります。
イースターの一週間前の日曜日、イエスがイエルサレムに入った日を記念するPalm Sundayからイースターウィークが始まり、教会では今年も信者が、感謝、喜び、希望、期待に満ち溢れた気持ちの中でイースターを迎えました。
プロテスタントのキリスト教徒のイースターのお祝いは、イースターがある週末に行われます。
教会によって、そして教派によって多少違いますが、私が今まで通った教会では、Good Fridayである金曜日に、キリストの死を追悼する特別礼拝があり、聖餐式が行われます。
プロテスタントの教会では、聖餐式は大抵月に一度行われますが、キリストの体を象徴するパンもしくはビスケットと、キリストの血を象徴するジュースを頂くことで、イエスのことを祈念します。
イースター当日は、教会によっては子供たちによる演劇など特別なイベントもあり、定期的に教会に通わない信者もイースターには家族連れで参加します。
今年はコロナにより、定員の30%しか教会に入ることができません。そのため、9時半、11時と2回礼拝が行われましたが、我が家も含め、多くの家族がどちらにも参加できず、自宅でライブ配信からの視聴となりました。
小さい子供たちは、日曜学校でイースターにちなんだクラフトを作ったり、例年ですと、礼拝の後にエッグハントが始まりますが、今年はそれもキャンセルとなったのでした。
クリスマスと同様、イースターは家族や親戚が集まり、ランチ会または、ディナーなど盛大に祝います。
七面鳥を焼く方もいれば、ハムを焼き、ポテトを薄切りにしてクリームソースをかけて焼いたscallop potatoesとサラダをサイドディッシュで頂く方もいて、家族それぞれの伝統があるようです。
カナダにいる夫の家族はクリスチャンではないため、私たち家族は他の信者たちと同じように、盛大にイースターのお祝いはしないのですが、私にとってイースターは新年に似たものがあります。
イースターの礼拝を通して、自分のクリスチャンとしての歩みを振り返り、「霊の結ぶ実」である愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制が、自分の言動や行動に反映されているか、見直す機会でもあります。
今年のイースターは、イエスの死から復活までのストーリーを歌った讃美歌を聞きながら、家族と自宅で静かに過ごしました。
Written by 林いくえ(カナダ)