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「世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員」の私がパリに来たキッカケとは?

2022年7月4日
YACHI (フランス)

「アラフィフでもやりたいことはやる!」がモットー

Bonjour! フランス在住18年目、「世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員」YACHIです。

普段はアメブロで毎日発信、クーリエジャポンEXPAT、また雑誌・WEB媒体にも執筆経験がありますが、今回ご縁をいただいて、世界ウーマンの媒体に寄稿できることになり光栄です。

フランス、パリ、パリ近郊に長く暮らし、3年前にノルマンディ地方の田舎暮らしを10歳年下のフランス人主人、10歳、13歳になる子供たちと始めました。

本業は外資系エアラインに客室乗務員として勤務、パラレルキャリアとして、女性活躍、パラレルキャリアを推進しているNPO団体「パラレルキャリア推進委員会」の広報、海外支部運営メンバー。

またエアラインの経験を活かして、エアライン就活生を応援するCiel Onlie Salon運営、他には、コロナ禍で日本便に乗務できずお休み中ではありますが、ラジオパーソナリティーなどもしております。

「アラフィフでもやりたいことはやる!」をモットーに、興味があること、やりたいことにチャレンジ中。

フランス生活、フランスで出産・子育て、国際結婚、ワーママ、フランスで就活、働くなど、色んなテーマでお届けできると思います。どうぞ楽しみにしていてください。皆さま、どうぞ宜しくお願いします!

 

単身パリへ、その理由は?

海外で生活する多くの女性は、学生、駐在妻、もしくは国際結婚でその国へ移住した方が多いかもしれません。初めてのコラムである今回は、私がパリに来たキッカケを少しお話したいと思います。

当時勤務していたアメリカ系エアラインを退職し、スーツケース一つでパリに降り立ったのが2004年。目的は「パリで就職する!」でした。

その目的を果たすため、30歳でビザの応募の最後のチャンス、応募が多いのでビザが取得できるか分からない中、なんとかワーキングホリデービザを取得、パリ行きの飛行機にワクワクしながら搭乗した時は31歳になっていました。

「どうしてパリに来たの?どうして就職を希望したの?」そんなこともよく聞かれます。10代の時から、多くの人が思うように、「パリに住めたら素敵!」そんな憧れがありました。その時は、ただの夢、妄想でした。

20代になり、フランスの女性の働く環境や労働条件などを色々調べていくと、私が理想とする働き方がフランスにあることがわかりました。

母も結婚後、勉学のために一時期父と別居生活を送り、その後も50年近くワーキングマザーとしてバリバリ活躍していました。

私自身も同じように、「一生現役、家庭をもっても働き続けたい。パートナーとも一緒に子育てをしながら家族で仲良く、プライベートも楽しむ、そして仕事も自分の強みを活かしてキャリアを持ちたい」と思っていました。

当時東京で働いていましたが、「子育てをしながら私の理想のライフスタイルは難しい」と諦め、「人生最後のチャンス!」と勇気を持ってフランスへ渡りました。

 

パリで就活、私がまずやったことは?

到着して、すぐに就職活動をスタート。日本で準備していた英語・フランス語の履歴書に、新しい住所、フランスで取得した携帯番号などを追記して準備しました。

フランス人の知り合いに協力を得て、その履歴書を見てもらったのですが、私が作成したフランス語の履歴書は問題がありました。日本でフランス語の先生にお願いして、英語をフランス語に訳したものでした。

振り返ってみると、先生はフランスで働いた経験がありませんでした。ただ英語をフランス語に訳しただけではダメだったようです。

すぐに就職活動をスタートしたかった私ですが、履歴書を作成し直すというゼロからのパリでの就活のスタートでした。

そしてようやく履歴書が完成。私が最初にとった行動は「履歴書を持ち込む!」でした。

気になっていた有名な高級ホテルをリサーチして、日本から事前に履歴書を送付していました。数社はご丁寧に「現在は採用がありません」といった内容のお手紙での返事がありました。

人事採用の担当者の名前が分かっていたので、担当の方の名前を記載して手紙を書き、そしてアップデートした履歴書をそれぞれのホテルに持って行きました。

こうやって私のパリの就活がスタートしました。続編は「フランスで就活、面接、転職」そんなテーマでシリーズで書いてみようと思います。

フランス、もしくは海外で就職したい方の参考になれば幸いです。

Written by YACHI(フランス)

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