2020年3月16日夜、ムヒディン首相から発表があり、マレーシアの封鎖と行動制限について発令されました。
これにより、3月18日から31日まで外国人は入国できず、マレーシア人は出国できず、全ての学校は休校になり、スーパーマーケットや病院など、基本的生活に関わる店以外はクローズすることになりました。飲食店は、店内の飲食は不可ですが、テイクアウトとデリバリーのみ許可です。
会社も、この基本的生活に関わる産業以外は、全てクローズされることとなりました。
事前の通達があったのかなかったのか、息子のインターナショナルスクールは17日から休校になり、この日からオンライン授業が始まると、首相の発表前に連絡がきました。
16日の夜からスーパーに客が殺到し、買占め買い溜めが行われました。
Photo by Mohd Ekhsan Othman
でも、その後何日も入荷しなかったのはトイレットペーパーくらいで、お米やインスタントヌードルなども充分補充され、封鎖開始日の夕方には、多少いつもより混んでるくらいの店内で、ほぼ普通に買い物ができました。
驚いたのは、国民の行動が早いこと。
これまでデリバリー対応をしていなかった多くの飲食店が、たった1日でメニューやデリバリー体制を整えて告知。いくつかのスーパーチェーンでは、老人だけがゆったりと買い物できる時間を一般の開店時間前に設けました。
息子の学校からは、家庭学習のおすすめサイトリンク集が送られ、オンライン授業のパソコンセッティング方法、時間割が届き、初日は10時から15時、翌日以降は8時30分から15時30分の授業が、間に30分から1時間の休憩を入れながら、ほぼ普段通りに行われました。
宿題の提出もオンラインで行われ、学校に行ってる日よりも案外忙しかったりします。
ジョホールバルは国境の街なので、毎日たくさんのマレーシア人が陸路でシンガポールに通勤しています。
その人たちにとっても今回の封鎖は例外ではないのです。
封鎖期間は仕事だからといって国外にでることもできず、国外から戻ってきたら否応無しに2週間自宅待機をしなくてはいけません。
国外から帰ってきた人と接触した家族や友人も自宅待機です。
そこで、マレーシアに留まることを決めた人には、シンガポールの法令で、2週間無給の休みがあたえられることになりました。
シンガポールで休まず働くことを決めた人は、2週間暮らせるだけの荷物をまとめ、封鎖開始までの間にシンガポールに入国しなければなりません。
会社によっては、シンガポールで住まいやホテルを手配してくれているようですが、自分で手配しなければならない人は、友人の家に泊まったり、駅付近の野外で寝泊まりしている人もいるようです。
シンガポールに不可欠な産業のマレーシア人労働者には、1日40ドル(約3000円)がシンガポール政府から支給されることになりました。
17日の夕方から夜には、荷物を持ってシンガポールに渡ろうとするマレーシア人で、国境付近はものすごい渋滞でした。
夜が明け18日の朝になると、国境にかかる橋は、物資を運ぶトラックだけが通行していて、気味が悪いほどの静けさでした。
普段、地震や災害のないマレーシアは、もしもの時への備えは考えない傾向がある。その場限りでどうにでもなるという気軽な考え方が多い。時に無責任な感じさえする。
それなのに、今回のような急な出来事への適応力はすごかった。行動が素早いし、不満を言ってる人が周りに全くいない。自分で今できることを粛々とするだけ、という雰囲気。
日本のメディアをみていると、政府がどんな決定をしても、「対応が遅すぎるのではないか」と言ったと思えば、「そんなことまでする必要があるのか」と早めの決定について文句を言ったり、全てにおいて文句ばかりに聞こえる。
問題意識を持つのは大切だけれど、決まったこと、覆せないことに対して文句を言うより、自分がすべきこと、最大限に誰かの役に立つことをただ粛々と行う方が、どれだけ気持ちよく過ごせるのか、と思う。
マレーシアの友人からシェアされた文。
「The Government will tell you what it wants to be done. It is your job to figure out how it should be done. Don’t expect the Government to do your job.」( 政府はどうして欲しいのか教えてくれるだろう。 それがどのように行われるべきかを理解するのはあなたの仕事です。 政府があなたの仕事をすることを期待しないでください。)
世界が一斉に閉鎖の動きになる中、オンライン授業とか、テレワークとかに慣れてきて、新しい暮らし方をする時代に突入するきっかけが今なのだと思う。
運河は少し綺麗になり、CO2排出量が減り、空気が澄んで、他人を思いやりいたわる気持ちをみんなが持つようになり、新しい明日が待っているはずだ。
Written by 土屋芳子(マレーシア)