また最近アメリカやヨーロッパでも大きな問題になっている人種差別について、難しい話ではなく、日系チャイニーズ、スパニッシュフィリピンの血を持つ私が日本とフィリピンで受けた差別について、今現在ハーフキッズ三人のシングルママの立場として少しお話できたらなと思います。
実は私にとって過去を話すことはとても勇気がいることです。でも私の過去の経験を話すことでこの世界のどこかで同じように苦しんでいる方々に勇気と希望を少しでもわけることができるなら…と思ってこの記事を書くと決めました。
ほんの少しでも『差別』という言葉の本当の意味を理解してもらえるように、大好きな日本のみなさんに大切なことをお伝えできればなと思っています。
とその前に、みなさんは差別の種類をいくつ知っていますか?
人種差別、国籍差別、民族差別、性別差別、年齢差別、宗教差別、身体差別、障害差別、身分差別、職業差別、教育差別、ひとり親差別…。
細かく言ったら差別の種類はこれよりもっとあると思いますが、みなさんが身近に聞く差別用語はこんな感じではないでしょうか?
今回は全ての差別内容の詳細については細かく説明はいたしませんので、気になる差別用語があれば自分で検索をして調べることをおすすめいたします。
そうすることで、あなたはその瞬間から差別をする人間から遠くなり、差別を受けている方々の救いになり、この世界から『差別』と言う言葉を無くす活動のエネルギーになるからです。
調べるというその小さな小さな行動が、いつか大きな変化となることを脳裏のどこかで覚えていてください。
それでは私が今まで受けてきた差別について、少しだけ触れていきたいと思います。
以前のコラムで書いたように、純粋な日本人でも純粋なフィリピン人でもない私が今までの人生で経験した差別の種類を並べてみると、こんな感じになるのではないでしょうか。
人種差別、国籍差別、性別差別、年齢差別、身体差別、身分差別、職業差別、ひとり親差別。
ここですぐに思い浮かぶだけで、わたしは幼少期から大人になるまでに大きく分けて8種類の差別を経験したことになりますね。
今回はこのうち「人種差別、国籍差別」の部分に触れていきたいと思います。
海外(フィリピン)で生まれ、実の父親を病気で亡くし、再婚した義理の父と母と一緒に1歳の時に日本へ行った小さなわたしには英語の名前(クリスチャンネーム)がありました。
しかし日本へ着くやいなや、市役所で「英語の名前は日本人には呼びにくい」「ほかの子供から浮いてしまう」「日本だから日本らしくないと良くない」などを理由に、市役所の方々から英語名を日本名に改名させられたそうです。(30年前の事なので今はどうなっているか分かりません。)
そして周りの大人からは「お前は日本に住んでいるんだから日本人らしく、日本人のように振る舞い、日本人になりなさい。日本人は正しいんだから、日本人を見習いなさい」という言葉をよく耳にしながら育ちました。
それは、外国人である一部を封印し、日本人だけを尊敬しなさいと言うメッセージのように感じていました。
名前には命が宿るという言葉があるように、名前を変えられた事からアイデンティティーは崩壊し、「自分はいったい何者なのか?自分は何人なのか?自分のルーツはどこから来たのか?」とたくさんの質問や疑問で溢れる少女時代を過ごすことになります。
名前を日本語に変えたは良いけど、わたしの外見は変わらないので、幼稚園から中学生の頃まで仲間外れ、いじめ、差別、周りになじめない、わたしだけいつもどこか違う。
母がフィリピン人ということや私の顔が日本人らしくないことで、周りからは『お前はエイリアン!インド人、ばい菌!気持ち悪い!』などと呼ばれ笑われました。
学校では私物を隠される、黒板に意地悪な言葉を書かれる、私が作った作品を破かれたり、画鋲やガラスの破片、ゴミを上履きの中に入れられたり、書ききれないほど悲しい思いをイジメによってたくさん経験しました。
まわりの大人は無視する中で人種差別やイジメを受けながら、誰にも言えない孤独で不安な感覚に15年以上も苦しみました。
このことついては一部の友達しか知らなかったことですが、その後、中学3年間は人種差別といじめ、嫌がらせ、苗字の変更、家庭問題から人間不信と生きている恐怖で、一時期登校拒否や自殺未遂も何度もありました。
ですがなんとか日本の中学を卒業し、15歳の夏にマニラとミンダナオ島へ2年留学した事が、わたしの人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
(次ページへつづく)
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