少し前に、「息子を連れて公園に通っているうちに、同じように2,3歳前後の子どもを連れている人々と仲良くなって集まるようになった」という話をこちらのコラムでしました。
今日はこの話のその後について、話をしたいと思います。
私の住んでいるカリフォルニア州ベイエリアという地域では、周囲でもワクチン接種を受けたという話が続々と耳に入るようになり、閉鎖されていた施設も徐々にオープンし始めました。
先日ショッピングモールに入った際、屋内で人々が食事をしているのを久々に目にして、とても新鮮に感じました。サンフランシスコのゴールデンゲートパーク内にある日本庭園もオープンしています。桜がとても綺麗でした。
公園以外にも昼間子どもと一緒に過ごす場所を選ぶことができるようになった今、思うことがあります。
パンデミックでなければ、一緒に子どもを遊ばせているこのグループはきっと生まれなかったのだろうなあ、と。そう思うと非常に感慨深く、この出会いの有難さに感謝するばかりです。
実はいつからか、毎朝のグループチャットを苦痛に感じるようになっていました。
平日毎朝、誰かが「今日は○○公園にしない?」と投げかけ、それに対して「行く」とか「行かない」とかやり取りがなされるのを見ているのがストレスでした。
仲良くなるにつれ、そして他に行く場所の選択肢が増えるにつれ、「いつもの公園でね~」が、「明日は○○に行こう」「今度○○へ行こう」「あそこの○○もオープンしたらしいよ」という会話が頻繁に起こるようになりました。
なぜストレスに感じていたかというと、いつからか私は「そこに毎日参加しなくてはならない。さもなくば仲間外れにされそうな気がする」というFOMOに囚われていたようです。
FOMOは、”Fear of missing out”の頭文字を取ったもので、取り残されることへの恐れ、つまり自分がいない間にみんなが楽しいことをしていると心配し、不安を抱くことです。
仲間にきちんと入って毎日遊びに加わっていなければ、その会話を、その計画を、見逃してしまうのではないかという恐れを感じ、毎日遊びに行くのはスケジュール的にも厳しいのに「行かなきゃ」という義務感を感じ、ストレスに思うようになりました。
グループチャットに、何か楽しいことがあった時はその日の写真がシェアされてくるのです。そこに自分が行けなかった時の写真を見て、「あーmiss out してしまった、、、」と疎外感を感じてしまうのが嫌でした。
でも、それは私だけじゃなかった。
ある暑い日に、みんなでビーチに行くことになりました。その日来ることができなかったひとりがグループチャットに”FOMO”とジョークで送ってきていました。
多分あれはジョーク半分、本音半分だったと思います。わかるぞ、わかるぞ、その気持ち。その時、勝手に拗ねていた自分に気がついたんです。
「どうせ私なんかいてもいなくても、あなたたちは楽しくやるんでしょう?」みたいな拗ねた感情がFOMOです。ダサいですね笑
「FOMOがあるのは私だけじゃない」と気づき、拗ねる気持ちや毎日行かなきゃ置いて行かれてしまうという焦りのようなものは吹っ切れました。
そして今。様々な商業施設が徐々にオープンし、以前のように「いつもの仲間が全員いる状態」が少なくなってきました。
「今日は私たちは○○に遊びに行くから、公園には行きません」というメッセージも毎朝のグループチャットで頻繁に起きるようになってきました。
ワクチン接種が始まり、徐々に世界が、時代が、変わっていくのを感じます。密で内向きだった時間が、また、外に開けて行くような。
先日、とある平日の午前中、私たちのグループ以外あまり人の出入りがない公園で、イースターのエッグハントイベントをしました。
大人たちはポッドラックでそれぞれ一品ずつ持ちより、おしゃべりし、子どもたちは公園で走り回る。多様なエスニックバックグラウンドの集まりでは、テーブルも多国籍。私はいなり寿司を持って行きました。
ごはんを食べてから、カラフルなプラスティックのたまご(カプセル)にお菓子や小さなおもちゃを入れて、原っぱに落とし、「よーいドン!」で子どもたちは一斉に駆け出してたまごを拾いました。
キャーキャー叫びながら走る子どもたち。
その姿をスマホで動画を撮りながらキャーキャーと後を追いかける大人たち。天気も良くて、とても素敵な時間でした。
パンデミックが無ければ、私たちは繋がることはなかった。
パンデミックが無ければ、みんなで動物園に行ったりビーチに行ったり、イースターパーティをしたりすることはなかった。
パンデミックが終わったら、また、それぞれの世界に戻っていくのかな。
そもそも子どもはいつまでも小さいままではないし、いつかは学校に入ります。公園に、みんな、来なくなるんだよね。
この不思議な繋がりをもう少しの間、思いきり楽しみたいと願うばかりです。
Written by 佐古祐子(アメリカ)