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久々に訪れた日本の病院での光景に逆カルチャーショックを受けた理由

2022年3月1日
スペイツ由美 (アメリカ)

親の付き添いで総合病院へ

私は昨年末から親の介護で日本へ一時帰国していた。かれこれ20年以上も日本の総合病院と呼ばれるところへ行く機会がなかった私だが、親の付き添いで総合病院に行ってみた。そこで私は、逆カルチャーショックを味わったのだ。

アメリカに来て約20年の経験では、総合病院や大病院であってもほとんどが予約制なので、待合室で多くの人々を見ることは滅多になかった。

それはかかりつけの歯科や眼科も同じで、どちらも数ヶ月前から予約をして検診に行くのだ。だから検診と呼ばれるほとんどのことは、年間を通して予約されている。

ところが、日本で親の付き添いで行った大病院では「外来」の申し込みのために、早朝から人々がカウンターの前で順番を待っていた。個人医院においては、手書きの順番待ちノートに名前を記入して一度家に戻る人や、車の中で何時間も待っている人たちがいた。

それは私自身が昔、子どもの頃に経験したのとほぼ同じだった。

冬のインフルエンザが流行る時期に、狭い待合室で患者たちが隣同士密着してで座っていたことを思い出した。かかりつけの医者に行くと、同じクラスの友人と出くわすこともあった。

その頃からすでに40年以上も時が過ぎている。日本という国は綺麗で便利で電車が時間通りに来ることで外国人からも定評がある国なのに、どうして町医者や総合病院と呼ばれるところまでも、一部は40年前と変わらないのだろうか?

 

アメリカの病院はリラックス空間?

左:総合病院内の中庭、右:歯科医の待合室(どちらもアメリカ)

私にとって、これは逆カルチャーショックだった。

ちょうど日本からアメリカに戻ってきた同じ週に、歯科検診の予約日があったのでかかりつけの歯科医に行って、静かな待合室の写真を撮って、「かかりつけの歯医者の待合室。こんな感じ」と日本にいる友人に送ってみた。

友人からは「とてもゆったりした雰囲気だね」とのコメントが返ってきたが、まさに今まで普通に通っていたかかりつけの歯科医の待合室をよく見てみると、とてもリラックスできる空間に設定がされていることに気が付いた。

広い待合室には、デザインの洒落た椅子が置かれていて壁には絵が飾ってある。観葉植物や花が部屋のあちらこちらに置かれている。静かな音楽が心地よく流れている。完全予約制なので待ち時間もほとんどない。

そこは待合室ではあるけれど、いつ行っても待っている人は多くても2,3人なのだ。大抵は誰も座っていない。

これは「歯科=怖い・痛いところ」というイメージを一掃させるテクニックだと思った。この歯科医ではこれから治療する患者と治療を終えた患者の使うドアも違うので、待合室で治療が終わった患者を見ることは皆無なのだ。

また、治療後に治療費をその場で支払うことも、私はアメリカでほとんどと言っていいほど経験したことがない。

治療費は後日に病院から郵送されてくる請求書の額をオンラインでカードで支払うのだ。だから診察や治療が終わったら、そのまま家に帰るのが常である。

 

「病院に行くことが1日がかり」から変われるか?

このようなやり方に慣れていたこともあり、今回の大病院も含む病院巡りでは逆カルチャーショックを味わったのだった。

大病院では、待ち時間がとにかく長く診察をしてもらった後には、会計でまたまた待たされて、さらに処方箋を持って別棟にある薬局で薬ができるのを待つ。

朝一で病院に行っても全てが終わるまでには早くてもお昼を過ぎた。病院に行くことが1日がかりなのだ。

もしかしたら、子どもの頃から学校教育でも「並ぶ」ことや「待つ」ことに慣らされている日本人だから、待つことに抵抗がないのかもしれない。

しかし、世界では指折りのテクノロジーの発達した国なのだから、もっと画期的な方法でスムーズな医療へのアクセスが確立してもいいのではないだろうか?と正直なところ疑問を感じた。

急に具合が悪くなることもあるだろうから全てが予約制になることは難しいにしても、総合病院で見た多くの人々は、定期検査のために総合病院を訪れていたようだったので、あらかじめ時間の調整はできるのではないだろうか?

私の親の世代の人々のように、急なテクノロジーの発達についていかれない人たちがいることも重々承知しているが、次世代の人々が病院通いをする頃には、なんとか進化してほしいと思った。

Written by スペイツ由美(アメリカ)

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