降りたところにあった雑貨屋さんに入りました。
ウルグアイも公用語はスペイン語ですが、知ってるポルトガル語の単語を並べると会話は成立して、素敵なマテ茶の湯呑みとポンビーリャ(先端に茶漉しが付いる金属製のストロー)を手に入れることが出来ました。
マテ茶は「飲むサラダ」と言われるほどビタミンやミネラルが豊富なので、アルゼンチンやウルグアイでは老若男女問わず日常的に飲まれています。常にマテ茶セットを持ち歩き、いつでもどこでも飲みます。
その事を知ってから街行く人を観察してみると、本当に鞄の中に葉っぱやカップを忍ばせたり、マテ茶専用袋を提げています。
その上、茶葉に何度も差し湯をして飲むので、保温用水筒やら、家庭用保温ポットを持ち歩いている人もいます。回しのみをして飲みが習慣ですが、コロナ以来どうしてるのかなあーと気になります。
その後、少し早めのランチを済ませ、いよいよ世界遺産の街並みを散策します。
ゆっくり歩いても半日もあれば十分に見られる範囲の街並みそのものが、ユネスコ世界遺産に登録されています。
そもそもウルグアイはスペインの植民地であったアルゼンチンとポルトガルの植民地であったブラジルの間に位置し、双方からの干渉も強く、独立が遅れました。
コロニアも1777年にスペインの植民地支配下におかれるまでは、ポルトガルの貿易港として発展しました。
かつてのリスボンを思わせるようなポルトガル風の建物や迷路のような通りがあります。ポルトガル文化を反映し、至るところに青いタイル(アズレージョ)が貼られています。
スペイン植民地時代に入ると、石造りの建物が増えました。旧市街地の東外れにある城門portón de Campoは、ポルトガルとスペインの争奪戦が繰り広げられた歴史を物語っています。
17世紀の最後に建てられたサンフランシスコ修道院Convento de San Franciscoの遺構や、19世紀に建てられた灯台Faroを見ていると、昔のヨーロッパの地方都市へタイムスリップしたようです。
街角にはクラシックカーが置かれ、植民地時代の建物を利用した7つの博物館もあります。ポルトガルやスペインの影響を受けた武器や陶器、航海図を始め、当時の様子を伺わせる生活用品等も展示され、コロニアの時の流れを感じさせます。
半日歩き回り、その足で帰りのフェリーの時間に合わせてターミナルまで行きました。
レトロという言葉がぴったりとはまる懐かしい街の佇まいは、普通の観光地のイメージからはほど遠く、のどかそのものです。
首都はもっと賑わっているのかもしれませんが、それでもウルグアイは南米の中では治安もよく、砂漠の中のオアシスのような優しさがあると言われるほど。
対岸のブエノスアイレスの喧騒をよそに、とても静かです。
良い意味の田舎であり、道行く人もどことなく穏やかでした。ブラジル人ともアルゼンチン人とも違う雰囲気の店員さんはソフトな対応でした。
ヨーロッパの二つの大国に翻弄されたからこそ、両方の文化を受け継いで今に至るウルグアイ。その歴史ゆえに、今、穏やかに暮らすことの大切さを知っている国民性なのかと考えます。
働くために生きるのではなく、幸せな人生を送るために生きている、そんなことを感じさせるウルグアイプチ旅でした。
ラプラタ川に沈む夕陽を見ながらフェリーでアルゼンチンに戻ります。
Written by 岩井真理(ブラジル)
1 2