皆さん、こんにちは。ブラジルサンパウロ州に住むMariです。
中南米ではほとんどの国の公用語がスペイン語なのに、唯一ブラジルだけはポルトガル語を使います。
大航海時代ポルトガルがブラジルを植民地としていて、1822年に独立した後もポルトガル語がそのまま公用語となりました。本国とは少し違う部分もありますが、南米大陸最大のスピーカー率です。
その他、アフリカのアンゴラ、モザンビーク、カーボヴェルデ、ギニアビサウ、サントメプリンシペの5ヶ国、アジアでは東ティモールで公用語として使用されています。
公用語ではありませんが、昔住んでいた香港の隣のマカオもポルトガルの植民地。思い返すと通りの名やレストラン、ホテル等、あれは確かにポルトガル語でした。
夫は駐在が決まって、会社が用意してくれた語学プログラムを30時間受ける事ができました。
配偶者にその制度はないのですが、住む場所がサンパウロ市内ではなく英語が通じないと聞き、東京で先生を探して週末に月2回程度、習い始めたのがポルトガル語学習の始まりです。
渡伯した当初は超簡単な挨拶ができ、ゆっくりと数字を1000まで数えられる程度でした。
カフェで席に荷物を置き忘れて立ち去ってしまったに人に気付いて、”Com licença “(すみません)と、呼び止めはしたものの、その後のフレーズが何一つ出てきませんでした。
忘れ物の色から”Vermelho, Vermelho!”(赤、赤!)と大声で繰り返しました。怪訝そうな顔をした男性は、荷物を握りしめ足早に去って行きました。自己嫌悪に陥りました。
レジでは早すぎて金額すら聞き取れません。しかも案の定、思った以上に英語が通じない現実に直面し、不安は募るばかりでした。
ブラジルの語学学校、右下:ジョゼ先生
ある日、既に通算12年、二度目のブラジル帯同中の奥様からランチに誘われました。レストランでまず飲み物を注文する時、その方は誰よりも流暢なポルトガル語で、
“Por favor, água com gás, com limão esplimido e gelo também(ガス入りの水をください、絞ったレモンと氷もいれてね)”
「すご~い!カッコいい!いつかは私も!」と、俄然やる気が出てきました。学習意欲に火が点き、急いで情報を集めました。
まず、夫の会社が斡旋してくれる学校へ体験レッスンへ行きました。
日系人の女の先生が、少しのポルトガル語と不思議な日本語で話していたので「これだと私のポルトガル語より先生の日本語が上手くなりそう」と感じました。
次にカンピーナス大学の女子学生に会いました。英語でレッスンしてくれると言われましたが、学業も忙しそうでちょっと無理そう。
評判の良い語学学校もありましたが、高そうだなと考えていた時に、個人レッスンをしているジョゼ先生を見つけました。ちょっとおじいちゃんですが、かつて外資系の航空会社で人事の仕事をしていたとのことで英語は上手です。
早速アポを取って、お試しレッスンへ行ってみました。
ジョゼ先生「直接法」。レッスン中はほぼ全てポルトガル語で話しかけてくれました。なるべく分かりやすい言い方で分かるように話してくれたので、意外と理解が出来て少し自信になりました。
ポルトガル語のテキスト
翌月から週2回、1回1時間のレッスンが始まりました。ジョゼ先生のレッスンは、最初に会話でウォーミングアップします。ジェネラルな質問をたくさんしてきます。ここで分かったことがあります。
ポルトガル語はラテン語の仲間なので動詞の活用が多いのですが、それまでは現在形から順番に覚え始めていました。
しかし、実際の会話では、いつ、どこで、何を「した」か、過去のことを話すことがほとんどなのです。過去形の活用がわかってないと全然話が続かないことに気付きました。
もちろん「◯◯が好きです」のような一般的なことや、近未来を伝える「~するつもり」もありますが、比較的限られた単語で使い回せます。その日から良く使う動詞の過去形を覚えることにしました。
また、会話の主語は「自分」か「相手」がほとんどですから、まずは 「私」と 「あなた」の時の活用を間違いなく言えるようになることがポイントだと気付きました。
フリートークで鍛えられた後、テキストを使って文法を習います。
説明もポルトガル語ですが、こちらも聞き逃すまいと必死に聞くので、良く使う言い回しや単語の数は自ずと増えていったように思います。
意味の分からない言葉は音を覚えておいて帰って調べたり、どうしてもわからない時は、次回質問してその言葉の意味をポルトガル語で説明してもらったりすると、徐々にニュアンスも伝わるようになってきました。
レッスンの甲斐あって、3,4か月経つとレストランやお店での日常的な会話はなんとかなるようになってきました。