お茶の歴史を紐解いてみると、世界の人々が交わり繋がっていった「道」が見えてきます。中国で始まった茶を喫する文化は、大きくは海の路と陸の道のふた手に分かれて発展してゆきました。
興味深いのは、その呼び名。
中国から世界に向けて本格的な茶葉の出荷が始まった17世紀初頭、その交易地の二大中心地は、現在の福建省と広東省のあたり。
その土地の、茶の伝搬がどちらの出発点に端を発するのかは、実はこの重要な交易物資の呼び名を聞けば、すぐに分かると言われています。
海路で広がったものは、積出港のあった福建省アモイの方言「te(テ)」と呼ばれ、ほとんどのヨーロッパの国々ではこう呼ばれてるいるのは、ご承知の通り。
一方、「cha(チャ)」と呼ばれるのは、その発端は古く7世紀まで遡る、南のシルクロード。広東省を出発し、茶馬古道を経由してチベットに渡った伝播ルートです。
その陸路の交易は枝分かれして、インド、ペルシャ、トルコ、アラブ世界へと広まってゆきました。
そしてここ、かつてのシルクロードの貿易の交差点、アゼルバイジャンでは、陸のルートの伝搬の証である、チャイと呼称する茶の文化が花開いています。
それはまさにアゼルバイジャンの文化それ自体ともよく似て、トルコやペルシャの影響を色濃く残しつつも、遊牧民の文化が溶け込み、そしてさらにソ連時代の経験が加味されている、まさに東と西の文化の融合なのです。
左:イランで購入したアルムドゥ、右:アゼルバイジャンのカフェでパクラヴァとともに
アゼルバイジャンでは、「アルムドゥ」と呼ばれる小さなグラスでお茶を楽しみますが、その「梨のような形」という語源の通り、下部に少しふくらみを持ったその独特の形をしています。
その形状の美しい曲線は、装飾的な意味だけでなく、実はとても実用的。
下の方のふくらみに、より多くお茶がたまるので、底面に近づくほど冷めにくく、したがってお茶の飲み始めと終わりで、お茶の温度が変わらない構造になっています。
このアルムドゥ、隣国トルコやイランでも同様が使われており、テュルク、ペルシャの王朝時代、その版図の一部を占めたアゼルバイジャンにも、その華やかなハーンの宮廷の文化が残っています。
一方、お茶を淹れるティーポットは、たいてい小ぶりの陶器のものを使います。茶葉を小匙に3、4杯、そして沸騰した熱い湯をポットの半分ほどまで注ぎます。
そしてそのポットをごく弱火にして火にかけ、じっくりと5分ほど茶葉を蒸します。この時、絶対にぶくぶくと沸かさないのが、香り高いお茶を淹れるこつ。
「茶を沸騰させる嫁は離婚される」なんていうのよと笑いながら、アゼルバイジャンの友人は手際よくその工程を見せてくれました。
アルムドゥの半分ほどに、濃く煮出した茶を注ぎ、熱い湯をガラスの器の口ぎりぎりまで注ぎます。少なめに注ぐと、ケチケチした印象、たっぷりとなみなみと、がお作法です。
この時、山の茶店や田舎の家庭などでよく使われるのが、サモワール。ソ連時代の名残りの茶器で、薪を燃料に下段で湯を沸かし、上段に茶の入ったポットを据えて、茶葉を蒸らす仕組みです。
左:薪のサモワール、右:現代的な電気のサモワール
都会のアパートメントなどでは、現代風のトルコ式のチャイダンルック。本来は、直火にかける二段重ねのティーポットですが、現代式は下段は電気のケトルになっていて、上段は揃いのティーポット。
下のケトルの蒸気で茶を蒸らせる仕様になっていて大変手軽です。
このように、まさに交易の十字路、文化が交わるアゼルバイジャンらしい、茶器づかいのバリエーションだと思いませんか。
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