パリのアレクサンドル3世橋
こんにちは。スイスのジュネーブ生活9年弱の後、ドイツのフランクフルトに移住して4年半になります、Towamiです。
現在では仕事でフランス人のお客様とフランス語を使って働いていますが、2010年にフランス語圏であるスイスのジュネーブに赴任した際にはフランス語はおろか、英語もあまり話せませんでした。
でも、現地のローカルコミュニティに馴染みたかった私は一発奮起で勉強をして、無理やり下手なフランス語で話しまくることで、だんだんとフランス語が話せるようになりました。何をしたのか、思い出しながら書いていきたいと思います。
ジュネーブの公用語はフランス語ですが、国際機関も多く、住民の20%は外人という国際的な街だったので、仕事も基本は英語でしたし、英語だけで暮らそうと思えば不可能ではありませんでした。
きっかけはスーパーでお米を買おうとして理解してもらえず、英語で何度も「rice」と叫んでみたのですが理解されず、「ライス!」を繰り返した結果、アイスクリーム売り場に案内された事件です。
「これはいけない」と思い、少しずつフランス語学習へとステップを踏み出しました。
また、以前の記事にも書いたように、現地にできるだけ馴染んで、「ただ数年いて去っていくガイジン労働者」の枠から出たいと漠然と思っていたこともモチベーションの一つでした。
フランス語の学習は、基本的には仕事の後に自費で週に数回、もしくは土曜に語学学校に通い、外部の試験を受ける形で行いました。
まず、ジュネーブへの赴任前に、会社の補助で日本のベルリッツで5回ぐらいコースを取ったのですが、数とあいさつを学ぶのがいっぱいいっぱい。しかもそれが覚えられず、吐き気がして悪夢を見た記憶があります。
ジュネーブに到着して、3ヶ月ぐらいフランス語の先生にマンツーマンで教わる機会をいただき、A1-2レベル(初級)の文法の基礎を習ったような状態で終了。
その後、現地の語学学校に通いました。学校はB1レベルから始めて、週に2回ぐらい、仕事の後に1時間半、合計週に3時間ぐらい授業を受けました。時々土曜の朝クラスもあり、その時は毎週土曜3時間授業を受けていました。
かなり最初の方は単語がまったくわからなかったので、紙を小さく切った手書き単語帳を作って、旅行中などに見ていました。今は単語帳アプリが色々あるので便利になりました。
また、ある程度簡単な文章が作れるようになってからは、日常では近所の人や友達とできる限りフランス語を使うように頑張りました。
特に辛抱強い友達が多く、下手なフランス語でも頑張って聞いて、フランス語で答えてくれたので、これが本当に上達を助けてくれたと思います。
時々やめたり、また再開したりであまりきちんと継続していなかったのですが、今残っている領収書を見ると、赴任したのが2010年4月で、語学学校でB1レベルに行き始めたのがその年の10月からまず3ヶ月間。
一旦休んで、その翌年2011年に3ヶ月間再びB1レベル。
そして、2012年の秋に試験対策講座を3ヶ月受けて、同じ年の暮れにDELF B1という試験を受け、合格しました。
その後また間を開けて、今度はB2の試験対策講座をおそらく3ヶ月ぐらい受けて、2013年にB2試験を受けて合格。
その後2014年にC1講座を3ヶ月受け、2014年の11月にC1の試験を受けて合格しました。
ちなみに2012年の半ばには、片言のフランス語で友達と話していた記憶があるので、B1レベルくらいから片言で会話が成立し始めるように思います。
晴れた日のジュネーブのレマン湖と噴水の風景
「レッスンにお金を惜しまない」と決めて臨んでいました。
語学能力はおそらく一生物と思ったので、「ケチらない!」と決めて、語学学校や試験代などがかなり高かったですが、思い切って使っていました。
そのおかげでクオリティの良い先生に会え、良い教材を使って、きちんと文法を学ぶことができたおかげで、かなり実践的に使えるようになりました。
実は、これと真逆なことをしたのが私のドイツ語学習で、安い学校に通った結果、先生の質が悪くてほぼ独学になり、楽しさを見出せず、結果B2の試験に受かった後、勉強をほぼやめてしまいました。
周りの外国人は、「ガンガン外に出て、バーで話せばコツコツ勉強しなくても大丈夫!」と言っていましたが、日本人的な私は文法の基礎を固め、単語を覚え、図書館でガリ勉し、カフェで試験勉強をしました。
このおかげで、ビジネスレターや長文の要約(フランス語学習につきものの「Synthèse (サンテーズ)」)が書けるようになったり、ある程度のレベルに対応できる文法力がつきました。時間はかかったけれど後悔していません。
次回【試験・実践編】に続きます。お楽しみに。
Written by Towami(ドイツ)