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ラブ、安堵、ピース 黒澤一樹著

2019年2月4日

なんだかかわいらしいタイトルと装丁のこの本。

一見、女子向けの恋愛本に見えるこの本、実は中国の哲学書『老子道徳経』なのである。

『老子道徳経』とは、年を取ったので引退して放浪の旅に出たいと考えた老子が、関所の門番に門を通してもらう代わりとして記した書簡をまとめたもの。

人生に悩んでいた若い門番が、当時から有名な哲学者であった老子に、「人の生きる道」についての教えを書き残していってほしいと懇願し、書き残されたものである。

「人の生きる道」とは、「道(タオ)」。

人生最大の秘密であり、究極の教え。

数日後、どこかへと姿を消してしまった老子の代わりに残された書簡が『老子道徳経』である。

 

『老子道徳経』は、上編の「道」の章と、下編の「徳」の章の大きく2つに分かれている。

上編で説かれている「道(タオ)」とは、「自分」という境界が消えたときに明らかになる、あるがままの存在の本質、それを永遠に動かし続けているエネルギーのこと。

つまり、「対象」があるわけではない。

人はすぐに言葉や定義、価値や基準に「名前」を付けるが、そうすることによりタオは姿を隠してしまい、その代わりに「解釈」という幻想が現れてくるらしい。

その幻想を「現実」と認識して生きているのが我々人間。

確かに私達は、ラベリングが好きである。

名前、国籍、肩書、職業、会社、学歴、資格、特技、趣味、嗜好、性格、性質…

というか、ラベリングができなければとても不便である。

例えば、私は「この本は素晴らしい。ぜひ他の人にも読んでほしい」と思い、人に伝えるために知恵を絞り、言葉をひねり出してこの文章を一生懸命に書いているのだが、老子によれば、こんなことをする必要もないのだろう。

おそらく、何も言わず読んでほしい人に本を手渡せばいいのかもしれない。

世界ウーマン読者に知らせたいのなら、あれこれ言わずに、リンクを貼っておけばよいのかもしれない。

しかし、まだまだ修行の足りない私はやはり言葉を使って伝えることしかできない。だから書くしかない。

老子はこうも言っている。

「すべてのものは、ひとつ、同じものでできている。だから、『あれをこうしたい』とか『もっとこうなってほしい』などという「欲望」を持たなくていい」のだと。

ただ「あるがまま」でいればいいのだと。

そんなに身を繕っているつもりもないのだが、ただ「あるがまま」というのはなんと深いことであろうか。

 

下編で説かれている「徳」についても書きたいのだが、長くなってしまうので詳しくは本で読んでほしい。

一言言えるのは、やはり「徳」も説明するのが難しい。

”最上の徳は、己の徳を意識しない。だからこそ、特がある。

低俗な徳は、己の特にしがみつく。だからこそ、徳がない。”

最上の徳は、無作為だから「いいことをした」などとは思わない。そこにわざとらしさがない。

低俗な徳は、作為的だから「いいことをした」とどこかにわざとらしさが出てしまうのだという。

やはり「対象」がなく、「あるがまま」なのである。

 

表紙にもあるようにこの本は「超訳」なので、現代語で分かりやすく書いてある。

難しい哲学本は苦手な方でも、老子の教えが分かること間違いなし。(私がそうでした!)

しかしながら、老子はそもそも「言葉で説明できるようなものではない」と言っている。

若い門番の「無理を承知の」必死の懇願に、「無理を承知で」書き記すことを承諾したと。

もちろん書いてあることは、文字を読むことができれば理解することができる。

でも、分からないものとは‥。

そんなことを考えていたら、意識がふっと遠くに行った。

悠久の宇宙の中に生きている私という存在。

地球に生まれて、やるべきことをやって、また死んでいく。

今良かれと思ってやっていることが本当に良いかということは分からない。

でも、すべての起こっていることは正しいらしい。

ただ、存在としてありのままに生きていけばよいという。

この世に生まれてきた以上、何か人の為に貢献できたらと願う。

何ができるかは分からないが、やるべきことを淡々と続けていけばいいのだと思う。

※私が購入した時はKindle版があったのですが、現在はなく、新品本も売り切れ。中古本かCD版、Audible版のみ入手可能のようです。

Written by 藤村ローズ(オランダ)

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