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「事実と真実は違う」流浪の月 凪良ゆう著

2022年9月3日

事実と真実の違いとは?

「事実と真実は違う」というフレーズ、耳にしたことはありますか?

事実はその場で起こったできごとであり、客観的に捉えることのできるもの。つまり誰が見ても一応は同じになります。

一方、真実はそこに関わった当事者の目を通すことによって、主観的に捉えたもの。つまり、人によって異なる可能性が大いにあるのです。

例えば、あなたの友人のAさんが「Bさんってすごく嫌な人なの。この前、すれ違った時にあいさつをしても無視をされたんだよ。最低だよね」と言ったとします。

この場合、事実は「AさんはBさんにあいさつをしたが、Bさんは反応しなかった」ということになるでしょう。

これに対し、AさんはBさんが「故意に無視をした」と捉えています。こちらはAさんの主観が入った、Aさんにとっての真実です。さらに、Bさんは最低だと結論づけています。

Bさんとも仲の良いあなたは、後日Bさんにこのことを伝えます。するとBさんは「え?あいさつしてくれてたの?気づかなかった」と言うではありませんか。

Bさんにとっての真実は「あいさつされたけど全く気づかなかった」ただそれだけのことだったのです。

事実と真実は違う、お分かりいただけましたでしょうか?

 

苦しくてたまらないけど、読んでしまう

この「真実は人によって異なる」というフレーズ。これ自体はそんなに目新しいものではありません。

わたし自身、これまでにいくつかの物語(本や映画など)で見聞きしたことがあり、この言葉の意味を理解していると思っていました。「そりゃ、立場によって意見は変わるよね〜」と。

そこに「その理解、浅はかにもほどがありますよ」と、目の前にグサッと突きつけてきたのが「流浪の月(凪良 ゆう著)」です。

読んでいるあいだ中、ずっと心が痛かったです。その痛みは、主人公の心の傷でもあり、自分自身の無知に対する恥でもあります。

「流浪の月」のメインキャラクターは、更紗(さらさ)と文(ふみ)。

更紗は自分を大切にしてくれる両親が大好きです。お父さんもお母さんも、世間の常識からすると少し変わっているところがありますが、3人で幸せに暮らしていました。

しかし、訳あって両親と離れ、叔母の家族と一緒に暮らすことになります。新しい環境で生活するうちに、更紗は「家族と共有していた自分の価値観が、どうやら他の人にとっては受け入れ難いものらしい」と気がつきます。

そして、周りとの摩擦を避けるために、家でも学校でも本当の自分を、文字通り殺して生活するようになります。

そんな中、更紗はある日、誰もいない公園で文に声をかけられます。文は頻繁にその公園で小学生たちを見ていることから「ロリコンなのでは?」と近所でウワサになっている大学生です。

更紗はそのことを知っていながら「今の生活から逃げ出せるなら」と自らの意志で文について行きます。そこから更紗と文の2人の生活が始まります。

その生活は更紗にとって、叔母の家のそれよりも安心で穏やかなものでした。しかし、この生活は長くは続きません。幼女誘拐事件として世間に知られ、文は逮捕されてしまうのです。

ここまでがこの物語の導入です。続いて更紗のその後の生活が描かれます。

更紗が真実を懸命に語るほどに「洗脳されてしまったかわいそうな子」と周囲は判断します。更紗はいつしかそれに慣れてしまい、説明しようともしなくなります。誰もが善意でもって、更紗の真実を受け入れないのです。

これだけでも読むのが苦しくてたまらないのですが、小説の最後には、読者にとって想像もできなかった文の側から見た真実が明らかになります。

 

「本当のこと」は想像の範囲外にある

本を最後まで読み終わった時、わたしはこう思いました。

「わたしがわたしである限り、誰かのことを100%理解するなんて不可能なのだ」。

「あの人はきっとこう思っているのだろう」「こうしたら喜んでくれるだろう」「なんであの人はこうしないんだ!絶対こうした方がいいに決まってるのに!」こんな風に日常で思うこと、多々あります。

でも、これは所詮、わたしの脳みそで想像できる範囲内でジャッジしたことなのです。相手にとっては全くの見当違いかもしれません。

このことに気づいてしまった時、どんな風に人とコミュニケーションをとっていいか分からなくなってしまいそうなほど混乱しました。

「相手のことを考えて声をかけてきたのに、その考えがそもそも間違っている可能性があるんだったら、どう会話すればいいの?」と。

でも、誰ともコミュニケーションを取らない訳にはいきません。「人の気持ちなんていくら考えても無駄なんだから」と、相手への配慮を一切行わないというのも、これまた違う気がします。

今の所の最善策は、相手のことを思いやった上で、「もし違ってたらごめんね」という、押し付けないスタンスでいるというものです。これからゆっくり自分にとって納得のいく方法を見つけたいと思います。

Written by げんだちょふ(日本)

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