現在、政府の決めたロードマップに基づいてロックダウンの規制が少しずつ解除されているロンドン。5月17日には、待望の屋内での飲食が可能になりました。
映画館、美術館、コンサートなども再開し、私の心はウキウキ。気のせいか街ゆく人の表情も明るい気がします。
先日、地下鉄の出口に貼られていたポスターに目が釘付けになった私。トンネルの中を写した写真に「Hidden London Tour (隠されたロンドンのツアー)」という文字が書かれていました。主催はロンドン交通博物館。
もしかして地下鉄のトンネルの中に入れたりするのかな?探検好き、そして「隠れ鉄子」の血が騒いでしまい、その場でサイトを検索した私は、気が付いた時にはもう申し込んでしまっていました。
5月19日、11時半。待ち合わせはロンドン交通博物館前。普段は声優業もされているという本日のガイドはベンさん。
集まったのは6人の参加者たち。1組はご夫婦、私を含めその他4人は皆おひとり様参加でした。ロンドン交通というマニアックなテーマが心に響いた参加者たちです。
私たちのウォーキングは、交通博物館のあるコベントガーデン(Covent Garden)の歴史を辿るところから始まりました。
ロイヤルオペラハウスや、気持ちのよい広場があり、今ではロンドンで観光やショッピングの中心地となっているコベントガーデンですが、中世にはウエストミンスター寺院の野菜畑でした。
地下鉄の駅前の通りの名前はフラワーマーケット、今ではショッピングの中心地
その後、ロンドン大火を経て野菜や果物、お花などの市場が出るようになります。建物に刻まれている刻印や、ストリートの名前からその名残を伺い知ることが出来ます。
1970年に花市場は、ニューコベントガーデンマーケット(New Covent Garden Market)と名を変えて、テムズ川の南側のナインエルムス地区に移転しています。
現在ロンドンの交通といえば、Tubeという(Undergroundとも呼ばれる)地下鉄や、赤いロンドンバスが思い浮かぶでしょうか。
今のボリスジョンソン首相がロンドン市長時代に整備した自転車(通称・ボリスバイク)に乗って移動する人も増えていますね。
ロンドンはもともと歩いて移動できるような小さな街だったと言います。それが馬車、テムズ川の船に取って代わり、汽車が整備されて郊外への移動ができるようになり、どんどん街が発展していきました。
1863年には世界初の地下鉄が開通します。1863年といえば日本は江戸時代・幕末。その頃から地下鉄があったとは驚きです。
当初は蒸気機関車を地下に入れていたため、ススが激しくボヤ騒ぎになることもあったとか。それでもその時代から既に地下鉄が整備されていたからこそ、ロンドンは発展してきたといえます。
このウォーキングツアーでは交通の歴史を振り返りながら、コベントガーデン周辺の建物やストリートを歩きました。
旧オルドウィッチ駅は、第二次世界大戦中シェルターとしても使われた
こちらは旧Aldwych(オルドウィッチ)駅。初めはStrand駅という名前だったそうです。コベントガーデンからほど近い市内の中心地ですが、利用客が少なく、今は廃線となっています。
廃墟になっており、第二次世界大戦中のバトル・オブ・ブリテン(イギリス空軍とドイツ空軍との戦い)の際にはシェルターとしても使われたそうです。
現在は地下鉄構内を映画の撮影に使うことも多く、ガイドのベンさんお気に入りのホラー映画「Death Line(邦題:生肉)」もこちらで撮影されたようです。タイトルを見ただけで、怖くて私は見れません。。。
こちらの駅の地下に入るツアーなども開催されているようですが、ロックダウンに入り現在は休止しています。
この駅のように、1930年代にデザインされた駅の特徴は、外側は茶色、駅の内部はライムグリーンの壁になっています。私のよく利用する駅もこのタイプなのですが、とてもレトロで可愛いなと思っていました。
代表的な駅舎としてはコベントガーデンや、ハムステッドの駅があります。このスタイルの駅舎はその時代に50箇所ほど作られたといいます。
駅は1階にあり、2階、3階に登るとパブやお店などがある、窓には半月の飾りが付いているという駅のスタイルは当時の一般的なものだったそうです。
あっという間の2時間のツアーで分かったことは、ロンドンの歴史が普段歩いている道のそこかしこに刻まれているということです。
例えばそれはストリートの名前だったり、建物を見上げると何気なく書かれている文字だったりします。視点を変えて歩けばたくさんの発見がありました。ガイドさんに案内してもらうのっていいものですね!!
Written by 伊藤結子(イギリス)