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「学び」って楽しくてもっと知りたいから続く!過去の語学留学がくれた気づき。

2022年7月7日
野林薫 (オーストラリア)

「英語を話せるようになりたい」という希望

「オーストラリアで半年英語を学んで日本に帰ってこよう」と決意して、生まれ故郷の福岡を飛び立ったのは2005年の8月。当時40歳、20年間働いた地元金融機関を退職して一年が過ぎていた。

子供の頃から「学校の科目」として大好きで大得意だった「英語」。社会人になってからその興味を失っていたのだが、30代の半ばを過ぎた頃、福岡でとある海外アーティストのコンサートを観に行った時、「私も英語が話せるようになりたい」という思いが爆発した。

地元の英会話教室に通い、たくさんの外国人教師から英語を学んだ。そして、週1,2回のレッスンを2,3年続けたある日、ひょんなことから「海外の語学学校で英語を学んでみようかな」という意識が芽生えた。

その時私は39歳。なんの目的も計画もなく仕事を辞めた後だった私は、2週間ほどの計画で、旅行を兼ねてオーストラリアの西にある町、パースを訪れたのだった。

 

ネイティヴが話す「普段使いの英語」に玉砕した私

パースに到着したと同時に、「少しくらいなら英語での会話、いけるかな?」という私の淡い期待はものの見事に打ち砕かれた。

宿はホームステイを頼んでいた。ホームステイ先では、ホストペアレンツやヨーロッパ人のステイメイト達が話してることが聞き取れない。語学学校では、先生やクラスメイトが話してることが聞き取れない。

中学での英文法が得意だった私。パースの語学学校のクラス分け筆記テストで高得点を取ってしまったが故に、中上級のクラスに入ってしまったのだ。

ほぼ半泣きで、なんとか初級クラスに変えてもらったが、やはり聞き取りには苦労した。授業が終わると、学校から逃げるように走り去る1周間を過ごした。

社会人になってから数年学んで、少しばかりできるようになったと思っていた英語だったが、実践で使えるようには全くなっていなかった自分を見せつけられた。

そんな私の初めての語学留学は「がっかり気分」で幕を閉じたのだった。

 

今だからわかる、何かを学ぶ上での心構え

「語学留学生」として英語を必死に学んでいた頃の私は、「自分の英語力が向上している」という感覚がなかなか持てなかった。いつもいつも他の誰かと自分を比べて、自分の英語力の不甲斐なさを嘆いていた。

今思えば、この「嘆き」が私の英語力の向上を妨げていたのだと思う。

「学び」とは、他の誰かと優越を競うものでもなく、「うまくできない自分」を責めることでもない。

「学び」とは、旺盛な興味と探究心とともに、「ほんの僅かな上達に喜びを感じながら」歩み続けていくものだと思う。

自分が「今持っているスキル」を馬鹿にせず、それを愛して共に進み続けることが自分が到達したい場所にたどり着く1番確かな方法ではないだろうか。

つい最近、生まれ故郷の福岡に滞在していたのだが、コンビニやショップ、ホテルで働く外国人が話す日本語のレベルの高さに感心した。未だ、英語への興味が尽くことのない私にとって、彼らが日本語習得に費やす努力と探究心は相当なものだと察する。

今回日本に行ってそんな彼らを目の当たりにして、再び英語への情熱と探究心をリフレッシュする機会をもらった。

福岡で誇らしげに目を輝かせて働いている彼らを時々頭に思い浮かべながら、私もオーストラリアで興味と探究心を失わずに生きていこうと思う。

Written by 野林薫(オーストラリア)

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